【目覚めればメイドロボ 4】

「じゃあ、今は不安じゃなくなったってこと」
悠太が聞いてくる。
「そんなわけないでしょ。今だって不安でいっぱいよ。さっきあたしの頭を開けた時に、人間の脳とは全然違うって言ってたわよね」
「うん。スイッチとかランプがついた機械の塊だったよ」
「はっきり言うわね。でもやっぱりそうなのね。充電しないと停まっちゃうし、身体の隅々まで機械だなって思うのよ。こうやってしゃべってるのも人格シミュレーションだってことになってるでしょ。頼りになるのは水曜日までの記憶だけなの。」

「不安なのは僕も同じだよ。モニターのためだからって、なるみをメイドロボとして扱わないといけないのが、どれだけつらいか」
悠太は下を向いて言った。
「ほんとに?さっきも面白がってあたしの身体で遊んでいたじゃない」
あたしがからかうように言うと、悠太はおどおどしながら答えた。
「それは……つい……。と、とにかく。何でこんなことになったかちゃんと調べて、人間に戻れる方法を探そうよ。とりあえず、メーカーの人に事情を説明して調べてもらって」
本当に悠太は何もわかってないわね。
「それで、メーカーの人になんて説明するの。この人格シミュレーションは普通じゃない、とかかしら?」
「そうそう、そうだよ」
「で、普通の人格シミュレーションに交換されて、あたしの人格は消えるってわけね」
「え?」
「ここまで説明しないと気付かないなんて、どうしようもないわね。あたしが元は人間だって証明できるものがなければ、単なる故障と思われて終わりよ。人格シミュレーションはデリケートな機能だから、おかしくなったら修理じゃなくて初期化が必要だと説明書に書いてあるわ」
あたしが言うと、悠太は説明書を調べ始めた。
「だから、ヘタなことをするとあたしが消えちゃうか、運が良くても昨日の朝の状態に戻るかしちゃうわけよ。わかった?」
「どこに書いてあるんだよ」
「えっと、確か後ろのほうよ。何ページだったかしら」
あたしは午前中に記憶した説明書のページを思い出そうとした。
「ごめん、正確な場所までは思い出せないわ。Maidモードのときは鮮明に覚えてたのに」
「わかった」
悠太はそういうと、スマートホンを操作しはじめた。
「ちょっと待って、それは……」
あたしの言葉は中断されて、背筋を伸ばして両手を体の前で重ねた姿に姿勢が正される。頭の中に再びアイコンが現れた。
「動作モードをMaidモードに変更しました。悠太様、ご命令をどうぞ」
「さっき言ってたページを教えてよ」
「はい、悠太様」
記憶の中から、まるで写真のようにそのページが浮かび上がってきた。
「そのページは操作説明書の143ページです」
あたしの答えを聞いて悠太はページをめくった。
「あ、本当だ。さすが高級メイドロボだね」
そう言われても全然うれしくないがあたしの口は自動的に返事をする。
「ありがとうございます、悠太様」
「でもなんでNarumiモードのときは思い出せなかったの?」
なんでだろう、そう思ったとたんに説明書のページが浮かび上がってきた。
「Maidモードで入力された視覚や聴覚などの情報は、Maidプログラム用の記憶領域と人格シミュレーション用の記憶領域に同時に記憶されています。Maidプログラム用の記憶領域には完全な形の情報が記憶されており、人格シミュレーション用の記憶領域は人間の記憶と同様の疑似ニューロンネットワークを使用しているため、曖昧なものとなっています。人格シミュレーションが完全な記憶にアクセスするためには、Maidプログラムを中継する必要があり、Maidモードではその状態で動作しています。Narumiモードでは人格シミュレーションが直接ボディを制御するため、完全な記憶にアクセスすることができません。Narumiモードでアプリケーションの起動が制限されているのも同様の理由です」
あたしはMaidプログラムに任せて自動的に説明した。
「正確な仕様については、操作説明書の152ページから157ページまでに記載されています」
そう言って、あたしは待機状態になった。

悠太はしばらく説明書を読んで、顔を挙げた。
「なるみ?」
「はい、悠太様」
「あ、ごめん。気が付かなかったよ。自由にしていいよ」
「ありがとうございます、悠太様」
あたしの身体に自由が戻ってきた。
とりあえず、いまのうちにと思って状況を確認した。さっき充電したばかりだからバッテリーは93%残っているので問題はない。携帯電話機能を確認すると、不在着信が一件入っていた。電話番号は悠太のお母さんのもので、かかってきた時間はちょうどNarumiモードの時だった。あたしの口が勝手に呟いた。
「タスクを登録しました。非優先タスク、不在着信を確認します」
Narumiモードだと電話がかかってきたことに気が付くこともできないなんて不便だわ、と思いながら、あたしは悠太のお母さんに話しかけた。
「おば様、さきほど電話の着信がありましたが、どのようなご用件でしたでしょうか」
「あら、ごめんね。特に用事はないけど、試しにかけてみただけよ」
「承知いたしました。それでは未処理タスクから削除します」
あたしは悠太の横に腰かけたけど、自由にしていいと言われても何をしたらいいのかわからなくて落ち着かない。本当はNarumiモードにしてほしいけれど、それは言っちゃいけないから今はこれで我慢するしかない。どうしようかしばらく考えてあたしは言った。
「おば様、悠太様、自由にしてよろしいのでしたらすこし外に出てまいります」
あたしは立ち上がり、リビングの扉を開けて廊下に出た。
「ちょっと待って」
悠太の声が聞こえ、あたしの身体は動きを止めた。
「はい、悠太様」
「夕方の6時までに帰ってきてね」
「はい、悠太様。タスクを登録しました。優先命令1、午後6時までに帰宅します」
朝起きた時のように意識の中に時計が現れた。時計は16時42分35秒を示しているので、1時間17分25秒以内に帰らないといけないことが分かった。
「そうだわ、外に行くんだったら買い物してきてくれるかしら。スーパーでカレーの材料を買ってきてちょうだい」
「はい、おば様。タスクを登録しました。優先命令2、スーパーでカレーの材料を購入します」
あたしは悠太のお母さんから財布を受け取るとエプロンのポケットに収納した。
「それでは、行ってまいります」
「ついでにさっきインストールしたナビゲーター機能も試してきてよ」
「はい、悠太様。メイドロボナビゲーターを起動します」
あたしの意識の中にアイコンが現れた。
「メイドロボナビゲーターを起動しました。どのように試しますか」
「どんな機能があるんだっけ」
アプリの機能もちゃんと調べずにインストールするなんてよくないと思いながら、あたしは説明した。
「通常使用する機能には、地図機能、ナビゲーション機能、オートパイロット機能の3種類があります。現在は地図機能とナビゲーション機能が使用可能です。オートパイロット機能の使用には自宅の位置と自宅内の待機場所の登録が必要です。現在、自宅の位置は登録されていますが、自宅内の待機場所が登録されていません」
「待機場所の登録はどうしたらいいんだい」
なんで、こんな説明書を見ればわかることをいちいち説明しないといけないのよと思いながらもあたしは自動的に答えた。
「スマートホンのアプリケーションから、待機場所登録を選んでください」
悠太はスマートホンを操作した。
「これでいいかな」
あたしの思考の中の地図にマーカーがセットされ、あたしの身体はくるりと向きを変えて廊下を逆戻りしてリビングに戻った。
リビングの片隅であたしは両手をエプロンの前で重ねた直立姿勢になった。
「待機場所はここでよろしいですか。よろしければアプリの確認ボタンをクリックしてください」
悠太がスマートホンを操作した。
「待機場所を登録しました」
あたしは再び行動の自由を取り戻した。
「悠太様、それでは出かけて参ります」
玄関に向かって歩いていく途中で、リビングから悠太の声がした。
「あ、試すのを忘れてた」
悠太がスマートホンを操作したのだろう、頭の中の地図のスーパーマーケットの場所に新しいマーカーがセットされ、自宅からのルートが表示された。
「ナビゲーションを開始します」
あたしはそう言って玄関の扉を開けた。

玄関から門まであたしの視界に重なるように赤色の矢印が表示されている。あたしは矢印に沿って門に向かった。
門までまでたどり着く何歩か手前で、あたしの口が再び開いた。
「間もなく、右方向です」
視界に映る矢印も右を示している。
いちいちしゃべるのがうっとおしいわね。そう考えながらあたしは門を出ると矢印に従って右に曲がった。
「しばらく道なりです」
歩道に重なるようにまっすぐな矢印が表示され、それと平行にあたしの身体の左右にそれぞれ片手ほどの距離をおいて緑色に光るレーザー光線のようなラインでできた格子状の壁が現れた。格子はあたしの身長を少し超えた高さまであり、格子を形作るの網目の一つ一つはほぼ正方形で、頭の大きさと同じぐらいだった。
あたしは、閉じ込められたと思って恐る恐る格子の網目に手を触れてみたら、その手は拍子抜けするほどあっさりとすり抜けてしまった。

あたしはしばらく矢印に沿って歩き、途中の大きな交差点にたどりついた。
あたしがいつもスーパーに行くときは右に曲がるけど、矢印はまっすぐ正面を示していた。
近道しても大丈夫かしら。あたしは少し考えて、右に曲がった。
緑色の網目を通り抜けてしばらく歩くと、交差点から少し離れたところで、あたしは動きを止めた。
「ルートを外れました。新しいルートを計算中です」
いちちいちしゃべらなくても頭の中で聞こえるだけでいいのに、なんとかならないかしら。
通行人が興味深そうにあたしの姿を眺めながら通り過ぎていくけれど、あたしは動くことができずに道路の上で立ちつくしていた。
「リルートが完了しました。ナビゲーションを開始します」
あたしは再び動けるようになった。
矢印は進行方向に現れていて、頭の中の地図のルートも更新された。
再び歩き出したところで、電話のアイコンが点滅した。
悠太の電話番号だったので、あたしは自動的に応答した。
『はい、メイドロボCMX-100 NARUMIです』
もちろん口は閉じたままだ。
『アプリがアラームを出したからスマホを見たら、ルートを外れたみたいだけど、どうしたんだい』
『はい、悠太様。わたしの記憶によれば、こちらの道のほうがナビゲーションの示した道より短距離となります。そのため、より早く到着できると考えました。さきほど自動でリルートが行われましたので、ナビゲーション機能は正常に動作しています』
『そうだったのか。じゃあ、もう一つの機能を試してみようかな』
そう言って悠太は電話を切った。
ナビゲーションのアイコンが緑色から黄色に変わり、あたしの身体は動きを止めた。
視界のなかで格子の網目ひとつひとつが手前から奥に向かってパタパタと、まるで半透明のタイルがはめ込まれたように変化していく。
全ての網目が変化すると、あたしの口から自動的に声が出た。
「ルートを固定しました」
ルートを固定ってどういうことかしら。あたしは右を向くと半透明の壁に向かって手を伸ばしてみた。
伸ばした手は半透明の壁に触れたところで動きを止める。
壁に向かって歩いてみても境界に触れたところで身体が動かなくなった。
「ルートは固定されています」
あたしの口からまた自動的に声が出た。
元来た方向もあたしの後ろ数メートルで半透明な壁になっていて、あたしは前に進むことしかできないみたいだった。
どうしたものかと思って、一歩二歩と前に進むと、後ろの壁もあたしの歩きに合わせて追いかけてくるみたいだった。
「どうしたんですか」
あたしの行動が不審に見えたのか、道を歩いていた男性が声をかけてきた。
「わたしは、ゼネラル・ロボティクス社製メイドロボット CMX-100 です。現在ナビゲーター機能の試験中です。ご心配の必要はありません」
あたしはメイドロボらしく答えた。
「そうかい、ならいいんだけど」
男性はそう言うと、あたしには半透明の壁に見える空間を通り抜けて立ち去って行った。

しばらく立っていると、ナビゲーターのアイコンがオレンジ色に変わった。
「オートパイロット機能を設定しました」
あたしはそう言うと身体は自動的に歩き出した。
しばらく歩くと、交差点で矢印が左に曲がっていた。
「オートパイロットで左に曲がります」
あたしの身体は交差点で足を止めると、左を向いて停止した。正面の歩行者用信号が赤から青に変わるのを待っているようだけど、その間もあたしは指先ひとつですら動かすことはできず、彫像のように静止していた。
あたしは、さすがに不便だと思って悠太に電話をかけた。
『どうしたんだい』
悠太は電話にすぐ出ると聞いてきた。
『はい、悠太様。オートパイロットを停……オートパイロットは正常に動作しています』
あたしが言おうとした言葉は自動的に置き換えられて悠太に伝えられた。
どうやらモード変更の時と同じように、自由になりたいということを伝えることはできないようだった。
『もうすぐスーパーだね。がんばってね』
『はい悠太様』
あたしは電話を切ろうとしたが、自分から切ってはいけないことを思い出し、悠太が電話を切るのを待った。
電話が切れた時には信号は青色に変わっていて、あたしは再び自動的に歩き出さした。
横断歩道を渡ってしばらく進むと、スーパーの前にたどり着いた。
「目的地に到着しました。ナビゲーションを終了します」
あたしの口から声が出るのと同時に視界に重なっていた半透明の壁や進行方向を示す矢印の表示が消えた。

「未処理のタスクがあります。優先命令1、午後6時までに帰宅します。優先命令2、スーパーでカレーの材料を購入します」
あたしはそうつぶやくと、店内に入った。
入り口で買い物かごをとって、野菜売り場でじゃがいも、にんじん、玉ねぎを入れ、調味料コーナーに移動する。調味料コーナーには何種類ものカレールーがあり、どれを選ぶのが良いかわからなかったので、あたしは適当に選ぼうとしたが伸ばした手は自動的に止まり、パッケージを手に取ることはできなかった。
あたしは意識の中の電話アイコンを呼び出すと悠太のお母さんに電話をかけた。
『あら、なるみちゃん。どうしたの』
『はい、おば様。スーパーマーケットの調味料売り場には8種類のカレールーがあります。どれを購入するべきかご指示をください』
『そんなのどれでも同じよ、適当に選べばいいじゃない』
悠太のお母さんの声で、あたしの中の何かが切り替わったように感じた。
あたしはチキンカレーにしようと考えて、インド風のカレールーを選んだ。
思った通り今度は手に取ることができた。
『それではインド風のチキンカレーにいたします』
『わったわ。早く帰ってきてね』
『はい、おば様。優先命令1、6時までに帰宅するを書き換え……』
『あ、ごめんね。今のは無し。こんなことばでも命令になっちゃうのね。気をつけなきゃ。帰宅は6時でいいわ。それまで好きにしてちょうだい』
『承知いたしました、おば様』
お母さんのほうが悠太よりよくわかってるみたい。命令に従うことしかできないあたしには、こういう心遣いがありがたかった。
あたしは鶏肉をかごに入れ、レジに並んだ。
隣の列をみると、あたしとは違うタイプのメイド服を着たロボットが一体、支払いをしているところだった。
そのメイドロボはあたしと違って髪の毛はなく、ショートカットの髪形を模したプラスティックのヘルメットのような頭部だった。額にははあたしと同じく額に逆三角形のランプが緑色に光っていたが、顔面はプラスティックでできた仮面のようで表情を変えることもできないように見えた。
レジの係員が金額を伝えると、そのロボットはあたしと同じような手袋に包まれた右手をICカードリーダーにかざした。
便利そうな機能なので、あたしの記憶の中にあるマニュアルを調べてみると、あたしにも同じ機能はついていて、まだチャージされていないだけだということが分かった。
そのことに気が付くと、あたしの意識の中の時計のそばに金額が現れるようになった。

袋詰めを終えたメイドロボが店を出て行ったころ、レジの順番がやってきた。
レジ係が商品をスキャンしている間にもう一度悠太のお母さんに電話をした。
『おば様、わたしの右手にはICカードが内蔵されていて、現金をチャージすることができます。今後の買い物をスムーズにするためチャージをする許可をいただけますでしょうか』
『わかったわ。その財布の中のお札を全部チャージしちゃっていいわ』
『承知いたしました』
レジの計算が終わり、合計金額が伝えられた。
「わたしは、ゼネラルロボティクス社製のメイドロボCMX-100です。支払い前に現金のチャージをお願いします」
あたしはそう言って財布から3枚の高額紙幣を取り出してレジ係に渡すと、右手をICカードリーダーにかざした。
「しばらくお待ちください」
レジ係がレジを操作すると右手にむずむずするような感覚があり、あたしの意識の中のチャージ金額が30,000という数字になり、すぐに27,418という数字に変わった。
「購入金額を引き落としました。お買い上げありがとうございました」
レジ係はそう言ってレシートを渡してきた。
あたしはレシートを受け取って財布に入れると、レジから離れて買ったものをスーパーの袋に詰めた。

 

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