【目覚めればメイドロボ 8】

目が覚めると、6時20分37秒だった。昨日と違って起動シーケンスが実行された様子はないけど、どういうことかしら。
あたしは起動メッセージを呟くこともなく、与えられた命令を確認した。
「休止状態から復旧しました。現在の未処理タスクを確認します。優先命令1、7時までに朝食を調理します。メニューはトースト・オムレツ・ソーセージ・コーヒーです。優先命令2、6時40分に悠太様を起床させます。優先命令3、掃除と洗濯を行います。優先命令4、留守番をします」

休止状態。なるほど、そういうことなのね。充電スタンドに接続されてるから、完全に電源を切る必要がないんだわ。あたしは説明書の該当ページのデータをロードして確認した。
もしかして、眠る必要もないのかと思ったけど、人格シミュレーションは定期的に休ませないとオーバーヒートすると書いてあった。要するに、あたしは人間と同じように寝ないといけないということだわね。
寝ているときはメイドプログラムがうまくやってくれるけど、そのときは普及機と同じ単純な動作になるということらしい。

説明書によると、あたしが起きてるときは、メイドプログラムが身体を動かす時にも、あたしの思考の一部を使って人間に近い自然な反応をさせてるということだけど、そんなふうに使われてるなんて全然気が付いていなかった。
これ以上のことは、技術資料F-203に書かれているそうなので、もしかしたら人間に戻れるヒントがあるかもしれないから、そのうち探してじっくりと調べるようにしなきゃ。

悠太を起こすのにも食事を作るのにもまだ早いけど、眠ることもできないし身体は指先ひとつ動かせない。せめて目ぐらいは閉じたいところだけれど、それもできなかったので仕方なく待機を続けた。必要ない時には人格シミュレーションだけ休止させて、何かあったらメイドプログラムが起こしてくれるようにも設定できるようだから、明日からはそうしてもらったほうがいいかもしれないわね。

6時30分00秒になったので、あたしは悠太を起こしに行くことにした。
階段を上がり、悠太の部屋のドアを開けると、身体のどこかでスイッチが切り替わったような感覚がした。
「優先命令2.悠太様を起床させます。悠太様を起床させるため、行動制限を解除します」
あたしはそう呟くと、ベッドに近づいた。
「悠太様、おはようございます」
「うーん、もう少し寝かせてよ」
「悠太様、申し訳ありませんが従えません。あと2分で起きてください」
悠太が起きるのを待つ間、行動制限解除でどこまでできるか試してみることにした。
まず悠太の学生かばんを開いて今日の授業内容を確認する。教科書やノートは昨日の時間割のものだったので、今日の時間割に合わせて中身を入れ替えた。なんで昨日のうちに準備をしておかないんだろう。
「悠太様、あと1分で起きてください」
あたしはクローゼットから制服を出して、着替えやすいように机の上に置いた。このあたりは悠太を起こすという一連の作業だから、できて当然だろう。
ここからは本来のメイドロボには不可能な行動を試してみよう。
「悠太様、時間です。起きてください」
昨日は布団を無理やり剥がしたけど、今日は悠太の身体の上に腰かけてみることにした。
「ぐひゃぇう」
悠太は悲鳴を上げて身体をバタバタさせた。
あたしの重量は64.1kgだからかなりつらいはずだ。
「起きる、起きるからどいてよー」
あたしは悠太の上から降りて少し離れた場所に移動した。
「制服と通学カバンの準備ができています。早めに着替えて降りてきてください。二度寝をしたらどうなるか、おわかりですね」
悠太はベッドの上で起き上がると、よろけながら降りてきた。
昨日と違って、あたしの行動制限は解除されたままだった。
昨日は二度寝していたから、今日は完全に起きたことを確認しないといけないけど、それじゃあ料理ができないしどうしようかと思っていたら、あたしの身体が自動的に動き出した。
「優先命令1.7時までに朝食を調理します。メニューはトースト・オムレツ・ソーセージ・コーヒーです。」
あたしはくるりと向きを変え、悠太の部屋から出て食事を作るためキッチンに向かった。
同じ朝食を作るのが3度目にもなると、かなり手際が良くなってきて、6時55分26秒に朝食をテーブルに並べ終えた。

あたしは悠太を待ちながら、部屋の中をうろうろしていた。
6時59分54秒に制服に着替えた悠太が降りてきた。
「悠太様の起床を確認しました。行動制限を適用します」
あたしの足が停まり、自動的に直立姿勢になって、両手をエプロンの前で重ねて軽くお辞儀をした。
「おはようございます、悠太様」
「あ、ああ。おはよう。また同じメニューなの?」
悠太はテーブルの上をみて、眠そうに言った。
「はい。そのように命令されています」
「じゃあ、明日は違うものにしてよ」
「承知いたしました。何がよろしいですか」
「じゃあ和食を頼むよ」
また面倒なものを。あたしが来る前は、いつもトーストだけで、ろくなおかずもない朝食だったくせに贅沢ね。
そんな思いとは関係なく、あたしは淡々と答えた。
「和食ですね。承知いたしました」
まあ、面倒なことはメイドプログラムに任せておけば勝手にやってくれるからいいけど。
そのうちに、悠太は朝食を食べ終わった。
「ごちそうさま」
あたしは悠太の食べ終えた食器を片づけようと思ったけれど、身体は動かなかった。
「それじゃあ言ってくるね。今日も留守番よろしく」
「行ってらっしゃいまで、悠太様」
あたしは深くお辞儀をして悠太を送り出した。

「優先命令3。掃除と洗濯を行います」
テーブルの上の食器を放置して、あたしの身体は昨日と同様に選択と掃除を始め、両方とも終わると自分で身体を動かすことが出来るようになった。

「洗濯を終了しました。優先命令4、留守番を実行します。優先命令4−1、留守番の間は自由意志で行動いたします」
あたしは、やっと気になっていた食器洗いに取りかかることが出来た。
「非優先タスク、食器を洗います」
なんでメイドプログラムじゃなくて、あたしがやらなきゃいけないのかしら。明日からは食器洗いを先にするように命令しなおしてもらわなきゃ。
食器洗いを終えて、定位置の充電スタンドに戻ることが出来たのは11時13分46秒だった。
昨日と違ってバッテリーの残量を気にすることなく、あたしはリモコンでテレビを操作しながら時間を潰した。

「ただいまー」
悠太のお母さんが返ってきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「あー、今日も夜勤で疲れたわ。コーヒー入れてちょうだい」
「はい、ご主人様」
あたしは充電スタンドから降りて台所に向かった。
「今日はどうだった……って今聞いたら、また昨日みたいになっちゃうわね」
さすが。よくわかってるわ。
「はい、ご主人様」
あたしは答えながら、コーヒーを準備した。悠太の家のコーヒーは、コーヒーメーカーで朝まとめて作るから、まだ保温状態で残っていた。
あたしはカップにコーヒーを淹れ。居間のソファーでくつろいでいる悠太のお母さんにコーヒーを出すと、充電台の上に戻った。

悠太のお母さんは、ノートパソコンを取り出して、あたしの首の後ろの端子ににケーブルを差し込んだ。
「通信相手と接続しました。CMX-100 シリアル番号9X385JSP02 個体名称NARUMI を通知しました」
「もうちょっと待ってね」
パソコンが操作され、あたしの思考から通知情報が消え去った。
「Narumiモードになったわ。ありがとう、おばちゃん」
あたしは、充電スタンドから降りようとした。
「あれ、外れない?」
あたしの靴底は、充電台にぴったりとくっついたままだった。そういえば、Maidモードの時にはどうしていたんだろう。考えてみたけれど、取り外し信号を送ったということは思い出せても、実際に信号を送ることはできなかった。電話機能やナビ機能と同じでNarumiモードでは使えないってことね。あたしは充電スタンドの説明を思い出そうとしたけどやっぱりMaidモードで記録したデータはNarumiモードでは思い出せない。
「どうしたの、なるみちゃん」
「スタンドから足が外れなくて」
「あれ、この取り外しボタンを押せばいいんじゃないの?」
悠太のお母さんはスタンドの前面にあるボタンを押した。
カチャンという音がして、靴のロックが外れた。
「きゃっ」あたしはバランスを崩して前のめりになり、悠太のお母さんの上に倒れた。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫よ、でもけっこう重いのね」
あたしの身体を両手で支えながら悠太のお母さんが行った。
「ごめんなさい、人間の時よりかなり重くなってるの。60…何キロだったかしら、Maidモードならすぐわかるんだけど」
「大丈夫よ、あたしは仕事で慣れてるから。もっと重い患者さんを介抱したりしてるのよ」
あたしは悠太のお母さんに肩を貸してもらって立ち上がった。
そうだ、今のうちに昨日言わないといけなかったことを言わなくちゃ。
「あの、おばちゃん」
「なあに、なるみちゃん」
「この後、あたしを Maidモードにするのよね」
「そのつもりだけど、嫌だったらずっとNarumiモードでもいいわよ」
本当に優しいのはありがたいけど、これに甘えたら今のままから変わらないわ。
「そのことなんだけど、あたしはもっとこの身体のことを知らないといけないと思うんだけど、Narumi モードじゃ自分のことを人間だとしか思えないから Maid モードにしてほしいの。でも、いまのままじゃあ命令がないと動けないから、すこし設定を変えてほしんだけど」
あたしはメイドロボマネージャの画面を指差した。
「ここにある制御レベルが今は High になってるのを Low にしたいの。そうすれば、命令がなくても動けるようになるはずだから」
「あらあら」
「最初にに起動したときは Low だったのに、悠太がいつの間にか High にしちゃってたの」
「早く言ってくれればよかったのに」
「それが、Maid モードのときは、モードを変えてって言えないし、Narumiモードのときは話すことがいっぱいで、つい後回しになっちゃって」
あたしは頭を掻きながら言った。
「あらそうだったの。そのへん真面目なのにちょっと抜けてるところは、やっぱり本当のなるみちゃんみたいね」
「もうっ」
あたしは悠太のお母さんと談笑を交わした。

「おばちゃんが寝る前に一つ試したいんだけど、あたしにメイドロボマネージャを操作させてほしいの」
「いいわよ」
あたしは、制御レベルをLowに、動作モードをMaidにして、実行ボタンをクリックした。
「Maidモードになりました」
思った通り、Lowだと即座に待機状態にはならないみたいだった。
「予想した通りの動作です。命令がなくても、このように自由に話すことができます」
あたしは続けてパソコンを操作し、動作モードを Narumi にしようとした。パソコンの操作は問題なくできるけれど、メイドロボマネージャのウインドウが選択されているときだけ、キーボードを打ったりマウスをクリックしたりしようとすると手が動かない。
そしてマウスカーソルをメイドロボマネージャから外すとすべての操作ができるようになった。
「試したいことは終わったかしら」
「はい、ご主人様」
悠太のお母さんがメイドロボマネージャを操作した。
「Narumiモードになったわ。やっぱり自分でNarumiモードになるのは無理みたい。操作しようとすると動けなくなっちゃうわ」
「あまり深く考えちゃだめよ。とりあえず、Maidモードに戻る前になるみちゃんもコーヒー飲んでおちつくといいわ」
悠太のお母さんは、ソファから立ち上がって台所に行き、コーヒーサーバーに向かった。
「あ、あたしが」
あたしも急いで後を追った。メイドロボじゃなくても、夜勤で疲れてる人にそういうことさせるのはいけないと思った。
「大丈夫よ」
悠太のお母さんがコーヒーの入ったカップを持って戻ってきたところで、首が後ろに引っ張られるような感覚がして、あたしは尻もちをついた。
「えっ」
少し遅れてあたしの後ろでゴトンと大きな音がした。振り向くとノートパソコンが床に落ちていた。まだ首のケーブルを抜いていなかったんだった。パソコンだいじょうぶかしら。
起き上がろうと身体をひねったところで、あたしの足に何かが当たった。
「あっ」と声がして、悠太のお母さんがバランスを崩した。うっかり足を引っかけてしまったみたいだ。中身のたっぷり入ったコーヒーカップが手を離れてあたしの胸に落ちてくるのが見えた。

 

 

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