幸せなメイドロボ

作 市田ゆたか

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。私は鏡の中に写る自分の姿を見て途方に暮れていた。 紺色のドレスに白いエプロン。頭にはレースの髪飾り。いわゆるメイド服だ。
目をそらしたくてもそらせない。瞬きひとつすることすらサポートコンピューターが許してくれない。こんなに悲しいのに、顔はにっこり微笑んだままだ。

男の人の声が聞こえた。
「調子はどうだい、メイドロボ1号」
登録された声にサポートコンピューターが反応し、私の意志とは無関係に口が動く。
「はい、ご主人さま。全てのシステムは順調です」
首に感じる違和感は銀色の首輪。御主人さまはこの首輪で私のサポートコンピューターを乗っ取っているんだ。
金属製の太いリングの内側にあるコネクタが私の首筋にある端子に差し込まれていて、リング自体は首にぴったりくっついている。何度も試したけれど手を触れた途端に力が抜けてしまうから取り外すことは不可能だった。
以前にもこういうことは何度かあった。ハッキングが趣味の友達にサポートコンピューターをのっとられた時がこんな感じだった。同級生にメイドロボのまねごとをさせられた時もあった。

あの子たちは無邪気で悪意はなかったけれど、ご主人さまからは物凄い悪意を感じる。ううん悪意なんてもんじゃない。もっと歪んだ感情だ。


それは一週間前のことだった。私は、全身不随のため義体になろうというお客様のところにカウンセリングに出向いた。生身から機械になるってことは大変なことだから、それを助けてあげるのが、ケアサポーターである私の仕事だ。
都心から離れたローカル線の無人駅に降り立つと、黒塗りのリムジンが待っていた。
車に乗って着いたのは私の住んでいるアパートの何倍もあるような大きなお屋敷だった。
「鍵は開いています。どうぞ中へお入りください」
運転手に促されてドアを開けると、そこは広い廊下に豪華なシャンデリアが輝き、壁には高価そうな絵が飾られたホールだった。
きょろきょろとあたりを見回す私は、傍から見るとどうみても挙動不審だ。
「よくきましたね」
私は、男の声に驚いて後ろを振り返った。そこには40歳から50歳ぐらいの高給そうなスーツを着た男性が立っていた。
「あ、えーっと。私は、ケアサポーターの…」
うろたえながら答える私をさえぎって、男の人が言った。
「知っていますよ。まずは、これを着けてもらいましょう」
男の人は両手に銀色の何かを持っていた。直径が15センチぐらいのドーナツのようなリングを半分に切ったような形の金属製の器具だ。何に使うか知っていたらすぐ逃げ出したのに、そのときの私は全然無防備だったんだ。
「何ですか、それは」
「すぐにわかりますよ」
そういうと、男の人は半分になったドーナツのような2つの器具で私の首を両側から挟んだ。首にひんやりとした感触を感じて、カチリと音が聞こえた。え、どうなっているの。考えるまもなく私の意識は闇に沈んでいった。


どのくらいの時間がたったんだろう。気がつくと、私は小さな部屋…といってもアパートの部屋よりも広い部屋だ…の中にいた。
部屋の一方にはガラス窓があり、誰かがこちらを見ている。窓の向こうにいるのはメイド服の女性だ。大きなお屋敷だから、メイドさんがいるんだわ。そう思って近づいていくと、メイド服の女性も近づいてくる。女性の首には銀色の首輪がはめられていて、私と同じ眼鏡をしている。眼鏡? 恐る恐る手を振ると同じように手を振った。ええっ、これって私じゃない。これは窓じゃなくて鏡なんだ。なんでメイド服なんか着ているの。
パニックになった私は他の服を探して壁のクローゼットを開けた。
クローゼットの中には、ハンガーにつるされたたくさんの服に混じって、私が着ていたビジネススーツがあった。

スーツに取り出して部屋のテーブルにおき、メイド服を脱ごうと胸のボタンに手をかけたところで、目の前に【禁止動作】という赤い文字が現れて私の手は動きを止めた。
このメッセージはサポートコンピュータが出しているものだ。本来は無茶な動作で義体に負荷をかけないための安全装置なので、義体になってすぐのリハビリの時にはよく見たけど、最近はほとんど見ない警告だった。私はボタンから手を離し、頭の上のフリルに手をかけた。これも「禁止動作」だった。
私はエプロンや靴(部屋の中なのに靴を履いてるんだ)も脱ごうとしたけれど、そのたびに現れる【禁止動作】にだんだん状況がわかってきた。この首輪がサポートコンピューターを乗っ取っているんだ。首輪をはずそうとしたが、もちろんこれも禁止動作だった。

私が戸惑っていると、部屋の扉が開いてさっきの男の人が現れた。
「ようこそ、わが屋敷へ。メイドロボ1号」
「お…お客様。これはどういうことですか。こんなことをしたら、義体不正アクセス禁止法違反で訴えますよ」
「義体?何を言っているのかね。君は私が開発したメイドロボ1号ではないか」
「違うわ。私は人間よ。名前は……。私の身体は……製の義体よ。ほらここにメーカーのマークとナンバープレートが」
私は、太ももの内側に刻印されている義体登録ナンバーを見せようと、スカートをまくりあげた。普段なら絶対にしないことだけど、そんなことを考えている余裕なんてなかった。
しかし、そこには見慣れたナンバーの代わりに MAID ROBOT PROTOTYPE-1 と刻印されていた。
「どこ製の義体だって?」
「……製よ」
あらためて言って気がついたけど、私の口からはメーカー名が出てこなかった。
「どうして…」
「当然だよ。君は私が開発したメイドロボなんだから。メーカー製ではない手作りのオリジナルだからね。自分のことを人間だと思い込んでいるなんて、どうやら電子頭脳の調整が悪いみたいだね。自分の名前を言ってごらん」
男は不気味な笑みを浮かべて言った。
「私は……。……社のケアサポーターよ」
私は自分の名前や勤めている会社の名前を言うこともできなかった。
「やはり電子頭脳の調整が必要だね。しばらく待っていなさい」
そういうと、彼は部屋を出て行った。

逃げなきゃ。
私は男の出て行った扉に手をかけた。
ゆっくり扉を開けて左右を見回し、誰もいないことを確認すると玄関に向かって駆け出し、シャンデリアのある玄関ホールにたどり着いた。
玄関の大きな扉をあけ、外に踏み出した瞬間、視界に【禁止動作】という文字が現れて、私は前に進むことができなくなった。
一歩後ずさると文字は消え、自由に動けるようになった。

私は来た道を引き返すと、台所を抜けて勝手口へと向かった。
初めてのはずの広いお屋敷の中なのに、私はなぜか迷うこともなく勝手口にたどり着いたが、そのときはそれを不思議と思うこともなかった。
後になって考えれば、あのときすでにサポートコンピューターに建物の構造がインプットされていたんじゃないだろうか。

勝手口の扉をあけ、足を踏み出すと、やはり【禁止動作】という文字が現れて進むことができなくなった。
ドアがだめなら窓だわ。私は台所の窓をあけて体を乗り出したが、それは禁止動作ではなかった。 やったわ。
私は身体をひねって窓から抜け出すと、広い庭を門に向って駆け出した。
恐る恐る門を出ようとしたが、それも禁止動作じゃなかった。
早く会社に戻らなきゃ。私は駅に向かう長い道を歩きだした。
車で5分ほどの道でも歩くとかなり時間がかかる。30分ほど歩いて、私は駅にたどり着いた。ローカル線なので1時間に一本しか列車がなかったが、運よくほとんど待たずに列車が到着した。

列車に乗ろうとしてベンチから立ち上がろうとすると、頭の中にアラームが響き、視界に文字が現れた。
【待機状態】
「お客さん、乗らないんですか」
車掌さんが声をかけるが、私は指先一つ動かすことができなかった。
やがで列車はドアを閉めてゆっくりとホームから離れていった。

呆然としていると、駅のロータリーに黒いリムジンが停まった。
【帰還シーケンス】
目の前に文字が現れ、私の身体はリムジンに向かって歩き出した。
リムジンに私が乗ると、運転手は無言で車を走らせた。
運転手に何か話そうとしたが、私は一言も話すことはできなかった。
車はやがてお屋敷にたどり着き、玄関の前に停車した。
私の身体がリムジンから降りて扉を開けると、あの男が待っていた。
「おかえり」
私は絶望に泣き崩れそうになったが、身体は直立姿勢を保ったまま男の姿を見つめていた。
「さあ、これから電子頭脳を調整しようか」
男は私が逃げ出したことを全く気にしていないように言った。
これなら、もっと悪人らしく「逃げようとしても無駄だ」とか言ってくれたほうがはるかにましだ。 私は逃げる気力も失って、男の後に続いて元の部屋に戻った。
部屋の机の上にはノート型のコンピュータが置かれていて、数本のケーブルがつながっていた。
男は私の首と両手のリングにケーブルを接続すると、コンピューターのキーボードをたたいた。
私の意識はサポートコンピューターから切り離されて、暗闇に沈んだ。

どれくらいの時間がたったんだろう。気がつくと私は部屋の中央に立っていた。ケーブルは取り外され、正面にはあの男がいた。
「さあ、調整が終わったよ。自分の名前を言ってごらん」
「私は、メイドロボ1号です。御主人様」
私の意志と無関係に口が動いて、言葉が紡ぎだされた。
「この部屋は君の控室だ。命令がないかぎりは好きにしていいけど、今日みたいに外に出ちゃダメだよ。欲しいものがあったら、君の電子頭脳にリンクしている屋敷内ネットで発注してくれ。すぐに執事に届けさせよう」
「承知いたしました、御主人さま」
私はニッコリ笑って、御主人さまを見送った。
今のは絶対に私の意志じゃない。でも、本当にそれは私の意志じゃないんだろうか。
サポートコンピューターが操られているだけだ……と思う。クローゼットには来る時に着ていたビジネススーツも、持っていたハンドバッグもまだあったけど、自分の身分を証明するものはなく、携帯電話のメモリーにも御主人様の番号しか入っていなかった。
私は人間なんだろうか。それとも、人間だと思っているだけの壊れたメイドロボなんだろうか。
そんなことは、どうでもよい気がしてきた。
御主人様は欲しいものは何でもくれるって言っていた。義体のローンを返すためにあくせく働いて、狭いアパートに戻る生活よりも、こっちのほうがよっぽどいいんじゃないだろうか。
私は御主人様の出て行った部屋で、バッテリーが切れるまで一人立ち尽くしていた。

 

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