【目覚めればメイドロボ 3】
「あとは携帯電話機能だったわね。こっちは問題ないわよ。悠太から聞いて、帰る途中で契約してきたわ」
そう言って、電話会社のロゴが入った小さなパッケージを取り出した。
「ありがとうございます。おば様」
あたしは礼を言った。
「いいのよ。そんな身体になって不自由でしょう。なるべくなるみちゃんの希望は叶えて上げないと。パーツの交換と違ってたいしてお金もかからないしね」
そう言って、パッケージを悠太に渡した。
「それじゃあ、早速セットするよ。そのいすにこしかけて」
「はい、悠太様」
あたしが椅子に座ると、悠太は説明書の入っていた箱から小さな鍵を取り出した。
そして、エプロンの正面にある金色のバックルのような部分にある鍵穴に差し込んで90度回した。
あたしの身体は椅子に座ったまま背筋を伸ばして膝をまっすぐにそろえ、両手を膝の上で重ねた姿勢になった。
「接合部ロックを解除しました」
あたしはそういうと身体を動かすことができなくなった。
視界の片隅に[一時停止中]というシグナルが点滅している。
悠太はあたしの顔に手を伸ばしてごそごそしているが、眼球を動かすことすらできないので、何をしているのかを知ることはできなかった。
「ここの留め金を外せばいいのかな」
耳のすぐそばでカチッと言う音がした。
[頭部開放中]
視界に新しい文字が現れた。
悠太は何かを持ち上げるように両手を上に動かした、何かをつかんでテーブルに置いた。
ヘルメットのようなそれは、あたしの頭部カバーを髪の毛ごと取り外したものだった。
「へぇ、中はこんな風になってるのか。人間の脳とは全然違うなあ」
悠太はパッケージを開けて小さなICカードを取り出すとあたしの後ろに回り込んだ。
「ここにSIMカードを刺すだけか。簡単だな」
カチッという音がして、視界に新しい文字が現れた。
[外部通信:SIM検出]
[外部通信:キャリア確認]
[外部通信:認証開始]
[外部通信:認証完了]
あたしの意識の片隅、時計の横に電話のイメージが現れた。
[外部通信:アクティベーション開始]
[外部通信:アクティベーション完了]
続いて電話の横に、薄いグレーのアイコンのようなものがいくつか現れた。
「これでよし」
悠太は再び頭部カバーを手に取ると、あたしの頭の上からはめ込んだ。
カチャカチャと金属音がして、視界の文字が消えた。
悠太はあたしに差し込まれている鍵を廻して引き抜いた。
「接合部ロックを施錠しました。新しいデバイスを有効にしました」
そういうと、あたしは身体を動かせるようになった。
「さっそくテストしようか」
悠太はスマートホンを取り出してダイヤルした。
ピピピピ……。
頭の中でアラームが鳴り、電話のアイコンが緑色に点滅した。
どうしたらよいかわからずにいると、電話のアイコンは灰色に戻った。
「電話が鳴ったらすぐに出てくれなきゃ」
「はい、悠太様。電話が鳴ったらすぐに出るようにいたします」
ピピピピ……。
再びアラームが鳴り、アイコンが点滅した。
あたしは悠太の命令に従って、電話に出ようと考えた。
アイコンが緑色の点灯状態になり、悠太の声が聞こえた。
『もしもし、聞こえるかい』
耳から聞こえる声と少しずれて聞こえるその声を、あたしは分けて聞き取ることができた。
『はい、悠太様』
電話に対して話した声は、あたしの口からは出ずに頭の中で小さく響くだけだった。
『すごいや、なるみの声が電話からだけ聞こえるよ』
何を驚いているのかよくわからなかった。あたしの口からも声が出たら、周りの人が変に思うじゃない。
あたしは馬鹿らしくなってきた。
『悠太様、ご用件がなければ電話を切らせていただきます』
いまのあたしには電話の操作方法がすべて理解できていた。あたしは電話のアイコンに意識を集中した。
アイコンが灰色に変わり、頭の中に聞こえていた声はなくなった。
「おい、勝手に電話を切るんじゃないよ」
「申し訳ありません、悠太様。電話を勝手に切ることはいたしません」
これで次からは勝手に電話を切れなくなってしまった。
「次はアプリのインストールをするよ」
悠太はそういうと手元のスマートホン端末を操作した。
「まずスマホにアプリを入れて、次にメイドロボのシリアル番号を入れるのか。9X…385…それからJSP02でよかったかな」
悠太が捜査を終えると、しばらくして電話の横にある下向きの矢印をしたアイコンが点滅した。
「外部からアプリケーションのダウンロードを要求されました。実行するにはオーナーの承認が必要です。アプリケーションの名称はモバイルメイドロボマネージャです。製造元はゼネラルロボティクスコーポレーションです。このプログラムが信頼できる場合は承認してください」
あたしは、アイコンに指示されて悠太に許可を求めたが、悠太は何も言わずにスマートホンを操作している。
許可待ちの状態は気持ち悪いので、あたしは悠太にもういちど許可を求めようとした
「悠太様、ダウンロードの許可を……」
話している途中でまたアイコンが点滅し、あたしは話すのを止めて指示に従った。
「外部からアプリケーションのダウンロードを要求されました。実行するにはオーナーの承認が必要です。アプリケーションの名称はメイドロボナビゲータです。製造元はゼネラルロボティクスコーポレーションです。このプログラムが信頼できる場合は承認してください」
悠太はスマートホンの画面から指先を離してあたしのほうを向いた。
「ダウンロードを承認するよ」
ちょっと待って。これじゃだめだわ。あたしは、悠太の間違いに気が付いた。
「ダウンロード待ちのアプリケーションが2件あります。モバイルメイドロボマネージャとメイドロボナビゲータです。許可するものを選択しますか。すべて許可しますか。すべて拒否しますか」
あたしはメイドロボ基本プログラムに従って、ダウンロードするプログラムを選ぶよう悠太に言った。
「面倒くさいなあ。すべて許可するよ」
安全のためにこうなってるのがわからないのかしら。あたしはそう思いながらアプリケーションのダウンロードを開始した。頭の中にデータが流れ込み、ダウンロード時間のカウントダウンが始まった。
「ダウンロードを開始しました。2件のアプリケーションをダウンロード中です。残り時間はおよそ5分です」
必要なことを言い終えると、あたしは少しだけ自由に動けるようになったので悠太に聞いた。
「悠太様、このアプリは何でしょうか」
「ああこれかい。モバイルメイドロボマネージャは、今までケーブルをつないで設定していたことをネットを使ってどこでもできるようにするもので、ナビゲータのほうは自動で目的地に向かったり、どこにいるかがわかったりする、……えっと、カーナビみたいなものだってさ」
あたしは疑問に思ったことがあったので悠太に聞いた。
「悠太様、ネットにつながるということは、ホームページを見たりメールを使ったりできるのでしょうか」
「どうだったかなあ」
悠太は説明書をパラパラとめくりながら答えた。
「あった。これだ。電子メールとウェブブラウザは、文字と画像を見ることだけできるんだって。ハッキング防止のためダウンロードは禁止されてるって書いてあるよ。じゃあこれもインストールしておくね」
悠太が再びスマートホンを操作すると、あたしの頭の中のダウンロードアイコンが点滅した。
「外部からアプリケーションのダウンロードを要求されました。実行するにはオーナーの承認が必要です。アプリケーションの名称は簡易ブラウザです。製造元はゼネラルロボティクスコーポレーションです。このプログラムが信頼できる場合は承認してください」
「承認するよ」
「ダウンロードを開始しました。3件のアプリケーションをダウンロード中です。残り時間はおよそ3分です」
「外部からアプリケーションのダウンロードを要求されました。実行するにはオーナーの承認が必要です。アプリケーションの名称は簡易メーラーです。製造元はゼネラルロボティクスコーポレーションです。このプログラムが信頼できる場合は承認してください」
「承認するよ」
「ダウンロードを開始しました。4件のアプリケーションをダウンロード中です。残り時間はおよそ4分です」
そうしているうちに、次々とアプリケーションのダウンロードが終わっていく。
「モバイルメイドロボマネージャのダウンロードが完了しました。インストールするにはオーナーの許可が必要です……悠太様、いまの私は本当にメイドロボだと実感します」
「だってなるみはどう見てもメイドロボじゃないか」
なんだかむかついてきた。
「そうだけど、あたしの…ピピッ………………………」
あたしの言いたいことは中断されてしまう。
「どうしたの」
「悠太様、いまわたくしは感情的になってしまい、メイドロボ基本プログラムに不適切な発言を禁止されたようです」
「面倒くさいんだね」
だったら、Narumiモードにしてよと思ったけれど、もちろんそれを言うことはできなかった。
そうしているうちに、ダウンロードが終わった。
「……メイドロボナビゲータのダウンロードが完了しました。インストールするにはオーナーの許可が必要です……簡易ブラウザのダウンロードが完了しました。インストールするにはオーナーの許可が必要です……簡易メーラーのダウンロードが完了しました。インストールするにはオーナーの許可が必要です……」
あたしは立て続けにインストールの許可を求めた。
「全部許可するよ」
悠太が言った。
「モバイルメイドロボマネージャをインストールします。このプログラムのインストールには動作中のアプリケーションをすべて停止する必要があります。アプリケーションを停止しますか」
「停止するよ」
悠太が言うと、あたしは身体を動かすことができなくなった。
「アプリケーションの停止中です。携帯電話機能を停止します。メイドロボ基本プログラムを停止します。人格シミュレーションを停止します」
そう言ったところであたしは意識を失った。
しばらくして、あたしは意識を取り戻したけれど、まだ体は動かなかった。
「モバイルメイドロボマネージャのインストールが完了しました。スマートホンとのペアリングを行います。スマートホンのモバイルメイドロボマネージャを起動してください」
あたしの口が勝手に言うと、悠太はスマートホンを操作した。
「アプリケーションの起動を確認しました。今からお伝えするパスコードを入力してください。A・D・4・7・L・9・Z」
悠太はスマホにあたしが言った文字を入力した。
「パスコードが違います。新しいパスコードを生成しました。今からお伝えするパスコードを入力してください。8・U・I・2・K・B・7」
悠太はもういちどスマホに入力した。
「パスコードを確認しました。CMX-100 シリアル番号9X385JSP02 個体名称NARUMIは、モバイルメイドロボマネージャの管理下に入りました。インストールされていないアプリケーションが3件あります。引き続きインストールしますか」
「いや、あとにするよ。まずはこのアプリを試してからだよ」
「承知いたしました、悠太様」
あたしは身体を自由に動かせるようになったので、スマートホンの画面をのぞきこんだ。
画面には、パソコンのメイドロボマネージャと同じ項目が表示されていた。
悠太は、動作モードをタップして、Narimi を選択した。
あたしの身体に震えが走り、頭の中にあったさまざまなアイコンや時計、バッテリーの残量などの情報が消え去った。
「動作モードを、Narumiモードに変更しました。ゆ……、悠太?」
「あ、Narumiモードになったんだ」
「うん、そうみたい」
「ちゃんと動いてるようだから、これで毎回パソコンとつながなくてよくなるよ。他にどんなのがあるのかな」
悠太はスマートホンを続けて操作した。
「このHybridてのは何だろう」
悠太がタップをすると、画面に赤い字で「現在このモードは選択できません」と表示された。
「ということは、この二つのモードだけか」
悠太はMaidをタップした。
「ちょっと待っ……。動作モードをMaidモードに変更しました。インストールされていないアプリケーションが3件あります。引き続きインストールしますか」
あたしの頭の中にアイコンと状態表示が再び現れた。
「おっと、間違えた」
「動作モードを、Narumiモードに変更しました。ちょっと、あたしの身体で遊ばないでよ」
「ごめんごめん。とりあえず、残りのアプリもインストールしようか」
あたしは、さっきまであったインストール待ちのアプリを探したが、どこにも見当たらなかった。
「インストールは、Maidモードじゃないとできないみたいよ」
「じゃあ、また切り替えるよ」
「仕方ないわね。インストールが終わったら戻してよ」
「もちろん」
そう言って悠太はスマホを操作した。
「動作モードをMaidモードに変更しました。インストールされていないアプリケーションが3件あります。引き続きインストールしますか」
「全部インストールしてくれ」
「承知いたしました、悠太様」
あたしはインストールを始めた。
「メイドロボナビゲーターをインストールします」
あたしの意識のなかに、また一つアイコンが現れた。
「メイドロボナビゲーターをインストールしました。引き続き初期化を行いますか」
「初期化するよ」
「メイドロボナビゲーターの初期化を開始します。現在GPSが受信できません。GPSが受信できる場所へ移動するか、初期化を中断してください
「うーん、他のアプリのインストールを先にしたほうがいかなあ、それともこっちを先にしたほうが」
あたしは悠太の優柔不断さにイライラしてきた。怒鳴りつけてやりたいところだけど、また止まったらかなわないのでおとなしく聞いた。
「……どうしましょうか悠太様」
「うーん、なるみはどっちがいいと思う?」
どうせかかる時間は同じなんだから、途中で中断してやり直さないほうが早いに決まってるじゃない。
「悠太様。私は、継続することをお勧めします」
「それじゃあ継続だ。外に出たらGPSも受信できるだろ」
悠太は玄関に向かって廊下を歩きだした。
「はい、悠太様」
あたしは悠太のあとに続いた。
ドアから外に出ると、人工衛星をかたどったアイコンの一つが点灯した。
「GPSを受信しました。現在地をサーバに送信しました。アプリケーションの地図を確認してください。現在地が正しければ確認を、正しくなければ修正を選択してください」
あたしの口から出た声に、悠太はスマートホンを操作した。
「現在地が正しいことを確認しました。自宅の位置を登録してください」
悠太は操作を続けた。
「自宅の位置が登録されました。これより自宅内の詳細地図を作成します。行動範囲を自宅敷地内に限定します」
そう言うと、あたしの視界がモノクロになった。
悠太の家の建物や庭には色が付いたままだけれど、隣にある家や門の外の風景からは色彩が消え去った。
あたしは門から外に出ようとしたが、壁に当たったように前に進めなかった。
一歩さがって手を伸ばすと、門の上でやはり壁に当たったように止まってしまう。
隣にあるあたしが住んでいた家との境目も、垣根の上に見えない壁があるようで、どうやらあたしは色のついている世界から外に出ることはできないようだった。
「何をしてるんだい」
「悠太様、私はオーナーである悠太様の自宅の敷地から出ることができません。まだナビゲーターの初期化が終わっていないからであると考えられます。それを確認していました」
悠太はスマートホンを見た。
「自宅詳細地図作成中って出てるけど、20%から全然数字が増えないよ」
そう言われてみると、アイコンの横に20%という数字が表れている。
「とりあえず、戻って考えようか」
「はい、悠太様」
あたしは、玄関の扉を開けた。
視界に廊下が写った瞬間に、数字が26%に増えた。あたしはハイヒールの足の裏を拭いて、廊下に上がった。
廊下を曲がり、居間に入ると、数字が32%に増えた。
「悠太様、私の認識した範囲が地図として登録されるようです」
「なるほど。じゃあ全部の部屋を回ってきてよ」
「はい、悠太様」
あたしは悠太の家の部屋をすべて回った。普通の部屋だけでなく、トイレやバスルームもまわって、数字は97%になった。
「残り3%かぁ。もう全部の部屋は確認したはずだしなあ。まあいいか、これで自宅の地図は確定でいいや」
そう言って悠太はスマートホンを操作した。
「自宅地図を確定しました。メイドロボナビゲーターの初期化を完了しました」
人工衛星位のアイコンの隣に地図のようなアイコンが現れた。
「引き続き簡易メーラーをインストールします。簡易メーラーのインストールが完了しました。引き続き簡易ブラウザのインストールをします。簡易ブラウザのインストールが完了しました」
残りのインストールは一瞬で終わって新たに二つのアイコンが現れた。
「インストールも全部終わったし、モードを切り替えるよ」
悠太はスマートホンを操作した。
頭の中のアイコンや各種ステータス表示が消失した。
「動作モードを、Narumiモードに変更したわ」
あたしは違和感を感じた。今って自動的に言ったのよね。
「あれ、ごめん悠太。もう一回やってもらえる?」
「え、どういうこと」
悠太が聞いてきた。
「ちょっと気になることがあるから、一回Maidモードにして、もう一回Narumiモードにしてほしいのよ」
「なにそれ、まあいいけど」
悠太はスマートホンを操作した。
頭の中にアイコンが現れ、あたしの身体は自動的に背筋を伸ばした姿勢になる。
「動作モードをMaidモードに変更しました。悠太様、ご命令をどうぞ」
「もう一回モード変更っと」
悠太は操作をつづけた。
頭の中のアイコンが消え、身体の動きが軽くなる。
「Narumiモードになったわよ。……やっぱりそうよ。思った通りね」
「どういうことだよ」
悠太はさっぱり理解できないというような顔で聞いてきた。
「Narumiモードでは制御コマンドにも従わなくていいのよ」
「制御コマンド?それって普通の命令と違うの?」
「ほら、モードが切り替わった時に『Maidモードに変更しました』とか言うじゃない。あれってMaidモードの時には自動的に言ってるんだけど、Narumiモードのときは、あたしが自分で言ってたの。だから、どんな言い方をしてもいいし、たぶん言わなくても大丈夫だわ。もう一回お願い」
「うーん、さっぱりわからないなあ」
そう言いながらも悠太はスマートホンを操作した。
「動作モードをMaidモードに変更しました。悠太様、ご命令をどうぞ」
「僕には自分の身体で遊ぶなって言ってたくせに」
悠太の文句にMaidモードのあたしは素早く反応する。
「申し訳ありません、悠太様」
「まあ、なるみがそうしたいっていうんなら、それでいいんだけど」
「ありがとうございます、悠太様」
悠太はがスマートホンを操作すると、頭の中のアイコンが消えた。
状況報告をしようとする気持ちをこらえてしばらく待つと、その気持ちはあたしの中から消えてしまった。あたしはほっとして深呼吸をしようとして、息をしてなかったことを思い出した。
「ふぅ、ありがと悠太。いまモードが変わった報告をしなかったでしょ。こういうことなのよ」
「うーん、わかったような、わからないような」
「いいのよ。これで、こんな身体でもあたしはあたしなんだって自信を持てたんだから」
あたしは右手を自分の胸にあてながら言った。