【目覚めればメイドロボ 5】
あたしは袋詰めを終えると、スーパーを出た。
「現在の未処理タスクを確認します。未処理タスクはありません。処理中のタスクを確認します。優先命令1、18時までに帰宅します」
思考の片隅にある時計は17時18分32秒を示していた。ここから家まではゆっくり歩いても10分程度なので30分ぐらいは時間があるみたい。あたしは意識の隅々まで確認したけど、とくに命令はなかったので、通学の途中で抜け道に使っていた近くの公園に行ってみることにした。
17時20分11秒に公園の入り口を通過して、17時21分50秒にベンチに腰かけた。いつでも時間がわかるのは便利だけれど、秒単位まで出てくるのはうっとおしかった。いちどそう思うと気になって仕方がない。スーパーに入った時刻、レジで会計をした時刻、店を出た時刻、それらの全ての時刻をあたしは覚えていた。
あたしは記憶を遡った。時刻がついた一番最初の記憶は、土曜日の10時51分33秒に電源を入れられた時の悠太の顔だった。
それより前の水曜日に学校に行って、家に帰って寝るまでの記憶には時刻はついていなかった。
なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
そう思って、あたしはつぶやいた。
「どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか」
誰も人がいないところでも丁寧語になるのね。あたしは自分の口から出た声に感心した。
しばらくベンチに座ってぼうっと考えていると、膝に柔らかい感触を感じた。見ると黒い子猫があたしの膝の上で丸くなっていた。この子は学校帰りにここに座ってた時によく来てた子のようだった。いつの間に乗ったのかしら、と考えた瞬間に17時33分04秒という時刻が現れた。
「あなたには、私が誰だかわかるのですか」
あたしはそう言って子猫の背中を撫でた。
子猫は、にゃぁと泣いてあたしの脱げない手袋に顔を摺り寄せた。
そのままのどの下を撫でてあげると、しばらくゴロゴロ言った後で膝から降りてスーパーの袋に顔を近づけて匂いをかぎ、ふりむいてにゃ〜〜と長く鳴いた。
「お肉が欲しいのですか。申し訳ありませんが、それは許可されていません」
あたしは子猫の首の後ろをつまんで袋から引き離し、膝の上に乗せた。
子猫は袋のほうをなんども見ていたが、そのうちに丸まって寝息を立て始めた。
あたしの意識の中の時計が17時45分になり、あたしは自動的に命令を確認した。
「現在の未処理タスクを確認します。未処理タスクはありません。処理中のタスクを確認します。優先命令1、18時までに帰宅します」
命令が認識されると、あたしの身体は帰宅しようと動き始めた。
あたしは自動的に立ち上がりそうになるのをぐっと堪えて、子猫をそっとベンチに降ろした。
「それでは、失礼いたします。……優先命令1を実行します」
あたしは自動的に立ち上がり、スーパーの袋を手に取って歩き出した。子猫が驚かなかったか心配だったけれど、振り向くことはできなかった。
公園を出てからは最短距離で帰路についた。ナビゲーションはなかったので、あたしは命令に従って自分の判断で最短のルートを選択した。
「ただいま帰宅しました」
あたしがそう言って悠太の家の扉を開けたのは17時57分11秒だった。
玄関に用意されていたタオルでハイヒールの裏を丁寧に拭いて、汚れが付いていないことを確認して廊下に上がった。
今に通じる扉を開けると、悠太のお母さんがいた。
「おば様。買い物を終えて参りました」
スーパーの袋を手渡すと、あたしは部屋の隅の待機場所に移動した。
「現在の未処理タスクを確認します。未処理タスクはありません。処理中のタスクを確認します。処理中のタスクはありません。待機状態に入ります」
あたしは待機場所に立って、両手をエプロンの前で軽く重ねたいつもの姿勢になって動きを停めた。
悠太のお母さんが荷物を持って台所に向かうのと入れ違いに悠太がリビングに入ってきた。
「おかえり、なるみ。ナビゲーション機能はどうだった」
「はい、悠太様。ナビゲーション機能は正常に動作いたしました」
悠太の問いかけにあたしは事務的に答えた。
「そうか……」
悠太はそう言って、あたしを見ながら周囲をうろうろした。あたしは今自分からは何も言えないんだから、何か言いたいことがあるなら早くいってほしい。悠太はしばらくうろうろすると、あたしに声をかけた。
「ねえ、なるみ」
「はい、悠太様」
「ずっとその姿勢で疲れないの?」
ロボットなんだから疲れるわけないじゃないと思ったけれど、あたしの口はちゃんと応答する。
「ご安心ください、悠太様。この姿勢は待機状態ですので最小限のバランス制御以外のエネルギー消費はありません。お気になされるのでしたら、別の姿勢を標準姿勢にすることも可能です」
「いや、そうじゃなくて」
一体何が言いたいのよ。
「それでは、どういうことでしょうか」
「だから、なるみは元は人間なのにメイドロボとして、自由に動けないわけじゃないか」
「悠太様、正しくは自分が元は人間だったという記憶のあるメイドロボです。本当にそうであったかは今の段階では判断できません」
「そうだったね。人間だったら同じ姿勢でずっといると、実際の体力とかは関係なく疲れたって感じるよね。そういうことは大丈夫かっていうことだよ」
ああ、やっと言いたいことがわかったわ。
「お答えします。私は、この身体になってから……失礼しました。この身体の最初の記憶以降で疲労を感じたことはありません。内蔵のバッテリーの残量が低下すれば停止しますが、それは眠るように意識を失う感覚であって疲労ではありません」
あたしの言いたいことをメイドプログラムがちゃんとした言葉にしてくれた。
「それじゃあさ、自由に行動していいって言った時も、その姿勢になることが多いのはどうしてなの」
知らないわよ。何も考えてないといつのまにか待機姿勢になるんだから。
「お答えします。私は、明確に行動することを意識していない場合には、自動的に待機姿勢を取るように設定されています」
「じゃあ、気にしないでいいってことだね」
「はい、悠太様」
いや、気にしてほしいんだけど。さっさとNarumiモードにしてよ。
そう思ったけれど、それを言葉にすることはもちろんできなかった。
「なるみちゃん、ちょっと来てちょうだい」
悠太との会話をさえぎって、台所から悠太のお母さんの声がした。
「はい、おば様」
あたしは台所に向かって歩き出した。
「何かご用でしょうか」
「モニターの報告をしないとダメだから命令するけど、いいかしら」
「はい、おば様」
いいえという選択肢があたしにあるはずもないけれど、いちおう聞いてくれるところがありがたい。悠太にも見習ってほしいわ。
「それでは、これから今日買ってきた材料でカレーを作ってちょうだい」
「承知いたしました。おば様。優先命令としてカレーを調理することを登録しました」
あたしはカレーのパッケージを手に取った。
パッケージの裏面が視界に入ると、あたしは動きを停めた。印刷されていたレシピがあたしの頭の中に書きこまれていき、すべて書きこまれるとあたしは再び動けるようになった。
「分量はどうされますか。ルーをすべて使用すると8皿、半分だと4皿になります」
「そうね。こういうのはたくさん作るほうがおいしいから全部使ってちょうだい。あと、ご飯はそこの炊飯器で3合炊いてちょうだい」
「承知いたしました。おば様。優先命令として炊飯器でご飯を炊くことを登録しました」
あたしの頭の中にご飯とカレーの調理時間が現れた。ご飯のほうが時間がかかるので、あたしは炊飯器の内釜に米と水を入れて炊飯器にセットした。
「カレーだけじゃさみしいからサラダも作ってちょうだい」
「承知いたしました。おば様。優先命令としてサラダを調理することを登録しました」
あたしは冷蔵庫を開けて野菜室を見た。カレーの材料のじゃがいも・玉ねぎ・にんじんはあったけれど、サラダの材料になりそうなものはなかった。
「現在ある材料で作成できるサラダのレシピは登録されていません」
あたしはジャガイモの皮をむきながら言った。
「何が足りないのかしら」
「現在ある材料に、トマトとレタスを追加することにより、調理可能なサラダは11種類あります。シーザーサラダ、和風トマトサラダ、ポテトサラダ…」
あたしは自動的にサラダの名前を読み上げだした。
「もういいわ。それじゃあシーザーサラダにしてちょうだい」
「承知しました。おば様。不足している材料はどうしますか」
「こっちで準備するわ。悠太、いそいで買ってきてちょうだい」
「えー、面倒だな。なるみが買ってきてよ」
悠太が言った。
「承知しました。悠太様。優先命令としてトマトとレタスを購入することを登録しました。タスクの優先順位を再計算します」
あたしの身体は皮むきの途中で動かなくなった。
「再計算が完了しました。カレーの調理を続行します」
あたしは再び皮むきをつづけた。
「なんで買い物に行かないの」
悠太が聞いた。
「トマトとレタスを購入することには20分の所要時間がかかります。現在の作業を停止するよりもカレーの調理が終了してからご飯が炊きあがるまでの間に実行するほうが効率的です」
あたしは悠太に説明した。
「その命令は取り消します」
悠太のお母さんが言った。
「悠太も横着しないでさっさと買いに行きなさい」
「優先命令、トマトとレタスの購入を取り消しました」
悠太がしぶしぶ出かける準備をしている間に、あたしはジャガイモの皮をむき終わると、大きめの角切りにして水を張ったボウルに入れた。
「ごめんなさいね、なるみちゃん」
自動的に動いて時はあまり気にならないけど、悠太のお母さんはちゃんと気を遣ってくれる。
「ありがとうございます。おば様」
あたしは礼を言うと次に人参の下ごしらえを始めた。人参二本の皮をむくと、一本はジャガイモと同じ大きさの角切りにし、もう一本は千切りにして、皿に取り分けた。
次に、玉ねぎ3個の皮をむいて、2個は4ツ割にして残り一個の薄切りを始めた。
半分に割った玉ねぎの切り口を下にしてまな板において、左手を握った形で軽く押さえた。包丁を左手の背にあてて右手が規則的に上下し左手が一定間隔でスライドして、瞬く間に玉ねぎは薄切りにされた。
これだけ手際よく準備ができるし、玉ねぎを切っても目が痛くなることもないなんて、メイドロボの身体も悪くないんじゃないかと思った。
あたしは再び冷蔵庫を開けて鶏肉を取り出すと、一口大にぶつ切りにした。
大鍋に油を入れて、人参とジャガイモを炒めて軽く焦げ目がついたところで鶏肉と玉ねぎを追加した。そして鶏肉にも火が通ったところで分量の水を計量カップで計って入れた。
鍋に蓋をして煮込み始めたとことろで、あたしはまな板と包丁を洗った。
洗い終わったまな板の上に包丁を置くと、あたしの身体は動かなくなった。
しばらくすると、鍋から湯気が立ち上り始めた。
あたしの身体は再び動き出し、コンロを弱火にした。そして左手で鍋の蓋を取って右手にお玉をもって細かい泡状のアクを何度もすくいシンクに捨てた。
スープが透明になると、あたしの身体は再び動きを停めた。
思考の片隅にタイマーが現れ、15分からカウントダウンを始めた。
「なるみちゃん、今どんな感じかしら」
「はい、おば様。あと13分43秒で煮込みが終わります」
「そう。それじゃあ、それまでこっちに来て楽にしていいわよ」
「ありがとうございます。それでは……」
途中まで言いかけたところであたしの口から出る言葉が止まった。
「申し訳ございません。ただいま鍋を監視中ですので、キッチンから離れることはできません」
あたしは鍋のほうに向きなおって再び動きを停めた。
ふと思い立って、あたしはコンロとは反対側の冷蔵庫のほうを向いてみた。
鍋から目を離してから30秒後、あたしは自動的に振り返って鍋を確認して再び冷蔵庫のほうを向いた。
よくできた調理機能だわ。あたしは感心した。
残り時間が3分11秒になったところで、悠太が家に戻ってきた。
「ほら、レタスとトマト買ってきたよ」
「ありがとうございます、悠太様」
あたしはレタスとトマトを悠太から受け取った。
レタスの葉を一口サイズにちぎって水洗いしてサラダボウルに入れ、トマトをスライスした。
先に切っていた玉ねぎと人参を同じボウルに入れたところで思考の中のタイマーが0になった。
あたしはサラダ作りの手を止めて鍋に向かうと、火を止めてカレールーを細かく割ってお玉に入れ、ゆっくりスープで溶くという動作を何度も繰り返してスープにルーが均一になるように混ぜて行った。
ルーをすべて溶かし終えると、あたしはカレーを少し掬って口に入れた。
味覚センサーに感じるデータは、あたしが人間だった時に作ったどのカレーよりも美味しいことを表していた。
いままでこんなに丁寧に作るなんて考えたこともなく、適当に作っていただけだったんだと初めて気が付いた。
悠太に従うプログラムはいらないけど、調理機能は便利だと思った。でもNarumiモードだと調理機能はつかえないのよね。あたしはすこし残念な気分になった。
そんな気分とは関係なく体のほうは調理を進めていく。
コンロを再び弱火にすると、思考の中に再びタイマーが現れ、10分からカウントダウンを始めた。
あたしは途中だったサラダ作りを再開した。
冷蔵庫からクルトンとドレッシングを取り出して、野菜と混ぜてトマトを載せ、最後に粉チーズを振りかけた。
炊飯器がアラーム音を鳴らしてご飯が炊けたことを告げる。ほぼ同時に思考の中のタイマーが0になった。
あたしはコンロの火を止め、キッチンから居間へと移動した。
「ただいま夕食が出来上がりました。いますぐお召し上がりになりますか」
「そうね。すぐ食べましょう」
「それでは準備いたします」
あたしは、まずサラダをキッチンからリビングに運び、次に深皿を二つにご飯とカレーを盛って運んだ。
最後にコップに水を入れて、スプーンと箸といっしょにテーブルに置くと「お召し上がりください」と声をかけて悠太のお母さんの後ろで待機姿勢になった。
「そんなとこに立ってないで一緒に食べましょう。味はわかるんでしょ」
「承知しました。おば様」
あたしは小皿に少し取って食卓の椅子に座った。
「あら、それだけでいいの?」
「はい、私の味覚センサーは味見のための最小限の機能のため、大量に食事をとると分解処理機能が限界に達します」
「そうだったのね。ごめんなさい。じゃあ、いただきましょう」
悠太とお母さんが食事を始めた。
あたしは、悠太が10回スプーンでカレーを口に運ぶごとに一回のペースでカレーを口に入れた。
味覚センサーからの情報がフィードバックされ、次回の調理用にレシピデータが更新された。
「ねえ、何か話したらどうなんだい」
悠太が言った。
「何をお話すればよろしいのでしょうか、悠太様」
「何をって、何でも好きなことを適当にさ」
「適当と、言われましても」
ほんとにメイドプログラムは融通が利かないけど、あたしにはどうしようもなかった。
自由に行動するように命令されればいいんだろうけど、自分からそれを言うことができないのは何度も試してわかっていた。
「ちょっと、それを貸しなさい」
悠太のお母さんが悠太の前に置いてあったスマートホンを取り上げて操作した。
あたしの思考の中から時計やバッテリーの状態などの情報が消え去った。
「Narumiモードになったわ。ありがとう、おばちゃん」
「最初からこうすればよかったのね」
「いろいろすいません。悠太ったらあたしのことを完全にロボット扱いして酷いんですよ」
「だって、なるみは何も文句言わなかったじゃないか」
「あたりまえでしょ。Maidモードの時にオーナーに逆らえるわけないじゃないの」
「ごめんごめん」
悠太は笑いながら言った。
「まったくもう」
あたしはカレーを口に運んだ。
「美味しいじゃない。これ」
Maidモードのときは美味しいというデータでしかなかった味覚情報を、ちゃんと感覚として感じることができた。
「くやしいけど、元のあたしだったら、こんなに美味しくできないわ」
「じゃあ、ずっとMaidモードのままにしようか」
悠太が言った。
「好きにすればいいわ。どうせ嫌だって言ってもリモコンでモードを切り替えるんでしょ。ごちそうさまでした」
あたしはスプーンを置いた。
「こら悠太、そんなこと言っちゃダメでしょ。なるみちゃんも、もっと食べていいのよ」
「あ、大丈夫です。味がわかるだけで十分です。それより、おばちゃんにお願いがあるんですけど」
あたしは話を切り出した。
「いまMaidモードだと、『おば様』って呼ぶようになってるけど、これを変えてほしいんです」
「どういうことかしら」
「『おばちゃん』っていうのは、本当の叔母さんの場合と、近所のおばちゃんという両方の意味があって、あたしが言う『おばちゃん』は近所のほうでしょ。でも『おば様』というのには、近所のおばちゃんって意味はないと思うの」
あたしは、いままで感じていた違和感を説明した。
「言われてみればそうね。それじゃあ、なんて呼ぶのがいいかしら」
「それなんだけど、はじめにそうだったみたいに『ご主人様』って呼ばせてほしいんです。悠太みたいに名前で呼ぶというのも考えたんだけど、やっぱりそれは悠太とおばちゃんを同じ扱いしてるみたいで変な感じだし」
「わかったわ。これからあたしのことを『ご主人様』って呼んでちょうだい」
「あ、いま言われてもダメだから、お昼みたいに登録してほしいんだけど」
あたしは言った。
「そうだったわね。ちょっとまって。これでいいかしら」
悠太のお母さんは、スマートホンを操作した。
「動作モードを、Maintenanceモードに変更しました」
思考の中に、大量の情報の羅列が現れ、あたしは身体を動かすことができなくなった。
「えっと、メニューから、オーナー呼称変更でいいのよね」
そう言ってスマホをタップした。
「第一オーナーの呼称を変更します。現在の呼称は『おば様』です。新しい呼称を指示してください」
あたしはそう言って悠太のお母さんのほうを向いた。
「それじゃあ『ご主人様』と呼んでちょうだい」
「ピッ、新しい呼称を『ご主人様』に変更してよろしいですか」
「いいわよ」
「第一オーナーの呼称を『ご主人様』に変更しました」
「これでいいのね」
あたしは「はい」と答えようとしたが、声を出すことはできなかった。
「あら、どうしたの。なるみちゃん。聞こえてるかしら」
悠太のお母さんが何を言ってもあたしの身体はピクリとも動かなかった。
「母さん、Maidモードに戻さなきゃ」
悠太が言った。
「あら、そうだったわね」
「動作モードを、Maidモードに変更しました」
情報の羅列は整理され、充電状況や時計、携帯電話などのアイコンが現れた。あたしは身体を動かせるようになったので悠太のお母さんに向かって話しかけてみた。
「ご主人様。ご命令はありますか」
ちゃんと呼び方が変わっていて、あたしは安心した。
「ないわよ」
「それでは、ご命令がありましたらお呼びください」
あたしは座ったまま待機状態になった。
しばらくして二人は食事を終えたので、あたしは食器を片づけようと立ち上がった。だんだん理解できてきたけど、やっぱりメイドとしてふさわしい行動は命令がなくてもできるみたいだった。
「いいのよ。あたしがやるから、なるみちゃんはそのままでいて」
あたしの身体は悠太のお母さんの声を聴いたとたんに動けなくなった。
「はい、ご主人様」
悠太のお母さんは、カレー皿やサラダボウルなどの使い終わった食器を重ねてキッチンへと持っていった。
「いいじゃん、母さんがやるって言ってるんだから、のんびりしようよ」
「しかし、悠太様。ご主人様はお仕事でお疲れのはずです。それでしたら、何もしていない悠太……様が……」
あたしは悠太がやるべきだと言おうとしたが、メイドロボとしてそれは許されなかった。
「失礼しました。それでしたら、メイドロボのわたしがするべきです。わたしはエネルギー切れになっても充電するだけで、疲れることはありません」
と言ったものの「そのままでいて」という命令がある以上は手伝いに行くこともできず、あたしは立ち尽くすしかなかった。
「それじゃあ、まだ試してない機能を試していいかな」
「はい、悠太様。どのような機能でしょうか」
どうせ悠太の考えることだからろくでもないことだろうけど、あたしに拒否権はない。
「テレビとエアコンのリモコン機能だよ。これは大半のメーカーの製品だったらアプリをインストールしなくても使えるって説明書に書いてあったからさ」
あたしはテレビに意識を向けた。テレビの型番を読み取るとデータベースとの照合が行われ、どのような信号を送れば操作できるのかの情報が登録された。エアコンの場合はもうすこし複雑だった。エアコンを操作するための信号をあたしが出すと、エアコンから現在の室内や屋外の温度や運転状況の情報が送られてくる仕組みになっていた。
「テレビおよびエアコンの型番を確認しました。どちらも、わたしが操作することが可能です」
「じゃあ、テレビをつけてみてよ。8チャンネル」
「はい、悠太様」
リモコン用の信号送信機は、頭の両側に耳を覆うような形で固定されている金属製のカバーに内蔵されていた。カバーの中央の小さな半球状のパーツの中に発光素子があり、左右をそれぞれの方向に対応していた。正面の送信機はあたしの額のパイロットランプに内蔵されていた。この3つの送信機によって、あたしがどっちを向いていてもリモコンが使える仕組みになっていた。
あたしはテレビが消えていることを確認して、送信機から「電源」信号を送信した。そしてテレビが点いたところで「チャンネル番号8」を送信した。
「お、ちょうど今メイドロボのコマーシャルをやってるじゃないか」
テレビの画面には、あたしの下位機種が順にあらわれ、最後に同型機のCMX-100が登場した。その顔やプロポーションは美人モデルや女優を彷彿とさせるもので、あたしなんかよりずっと綺麗だった。
「なんでこういう美人じゃなくて、なるみなんだろう」
そんなこと知るわけないじゃない。
「わたしには判りかねます、悠太様」
コマーシャルに続いてニュースが始まったが、悠太は興味をなくしたようだった。
ニュースでは、あたしを作ったメーカーが創業以来最高の利益を上げたことと、そのライバル企業の不振について評論家が説明をしていた。それによると、CMX-100はオーダーメイドで超高価なのにもかかわらず利益は少ないけれど、それが評判になって安い機種がどんどん売れているということだった。
でも、CMX-100がみんなあたしみたいに自分は人間だとか言い出したらオーナーは驚くしクレームになるはずなのに、そういう話を聞かないってのはなぜかしら。あたしは少し気になった。
「待たせちゃったわね」
食器を洗い終わった悠太のお母さんが戻ってきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。ご命令はありますか」
台所から戻ってきたときに。お帰りなさいは変な気もするけれど、いちいち気にしても仕方がないので、あたしは素直にプログラムに身体を任せた。
「命令はないわ。っていうと動けないんだったわよね。自由に行動していいわよ」
「ご配慮ありがとうございます、ご主人様」
自由に動けるようになったあたしは食卓の椅子に腰かけた。悠太のお母さんが正面に座った。
「とりあえず、今のうちに明日の仕事をお願いしておくわね。明日も早出だから、あたしは起こさなくていいわ。それから、今日と同じ時間に悠太のご飯を作って、悠太を起こしてちょうだい」
「命令を確認します。優先命令1、7時までに朝食を調理します。メニューはトースト・オムレツ・ソーセージ・コーヒーです。優先命令2、6時40分に悠太様を起床させます」
あたしは自動的に言った後で、今朝のことを自分で説明した。
「今朝のことなのですが、わたしはオーナーに危害を加えることができないため、熟睡している悠太様を起床させることができませんでした。悠太様は無理やり起こして良いとおっしゃりましたが、その命令は現在でも有効でしょうか」
「そうね、悠太を起こす時にはどんな強引なことをしてもいいわ。悠太もそれでいいわよね」
「う、うん。いいよ」
「承知しました。悠太様を起床させる場合には全ての行動制限を解除します。この命令はオーナーの安全に関わるため、再度確認します」
あたしはまた自動的に話し出した。
「悠太様を起床させる場合には全ての行動制限が解除されます。その間は全ての命令は無効になります。生命の危険を感じた場合は額のスイッチで緊急停止させてください。ご主人様、悠太様、お二人ともよろしいですか」
「もちろんいいわよ」
「なんかぶっそうだなぁ・・・」
あたしもそう思う。
悠太をお母さんが睨む。
「うん、いいよ」
悠太はしぶしぶ答えた。
「命令を確認しました」
「あとは、悠太を学校に送り出したら掃除と洗濯をしてちょうだい。それが終わったら留守番をしてちょうだい。留守番の間は自由に行動していいわ。あと荷物が届くはずだから受け取っておいてちょうだい。なるみちゃんの充電器よ。これでガレージにある電気自動車用の充電器を使わなくてもよくなるわよ」
「優先命令3、悠太様を送り出したのち、掃除と洗濯を行います。掃除の範囲を指定してください」
「なるみちゃんの判断に任せるわ」
「承知しました。優先命令4、掃除と洗濯が終了したのちに留守番を行います。優先命令4−1、留守番の間は自由行動いたします。優先命令4−2、留守番の間に到着した荷物を受け取ります。命令は以上でよろしいでしょうか、命令の優先順位に間違いはございませんか」
「いいわよ」
「明日の行動についての命令を登録しました」
あたしはまた待機状態になった。
悠太のお母さんはすぐにスマートホンを操作した。
あたしの思考からアイコンが消え去った。
「Narumiモードになったわ」
「それじゃあ、いろいろ話を聞かせてちょうだい」
それからあたしは、今日あったことについて、Maidモードの時には話すことができなかった感想を交えて二人に話した。
「それじゃあ、やっぱりなるみちゃんは今も自分が人間だと思ってるのね」
「それが、よくわからなくなっちゃって。Narumiモードのときは間違いなくそうだって言えるけど、Maidモードのときは電話とかナビとか電子マネーとか、こういう機能があたりまえに使えて、それをおかしいとも思わないなんて、やっぱりあたしは最初からメイドロボなのかもって思っちゃったり」
あたしは、どう説明していいかわからなかった。
「そうね。あなたが人間でもロボットでも、あたしたちはあなたの味方よ」
「ありがと、おばちゃん」
「もう今日は遅いし、あしたも時間はたくさんあるんだから、ゆっくり考えたらいいわ」
悠太のお母さんは優しい声で言った。
「それじゃあスイッチを切るわね。おやすみなさい」
悠太のお母さんの指先が額に触れた。
昨日、悠太にスイッチを切られた時と同じで指先や足元から身体の感覚がだんだんなくなっていったけど、その時ほどの不安感はなかった。
「おやすみなさいませ、ご主人様」
あたしは意識を失って眠りについた。