【目覚めればメイドロボ 7】

あたしは待機状態を続けた。
いままでは長く動けないときは充電中とか夜に電源を切られていた時だったから、意識があるままこれだけ動けないのは初めてだった。
あたしはすることがないので、記憶データにある説明書を何度も読み返していた。
Narumiモードではこのデータにはアクセスできないから、今のうちにちゃんと覚えておいて今度Narumiモードになったときに、Maidモードでどう扱ってほしいか言えるようにしなきゃ。
そう思って説明書をちゃんと読むと、あたしがいま動けない理由もわかった。Maidモードのときは制御レベルがあって、それが命令がないときの動作を規定していると書いてあった。[High]は命令がないときは待機状態。[Middle]だったらメイドとして必要な行動は自分でできて、[Low]だと命令で止められない限りは自由に動けるそうだ。
今の状態はそれが[High]になっているから、命令がない限り動けないんだわ。
最初に起動したときは[Low]になっていたから、口調や仕草は丁寧になっていても自由に動けたみたい。いつ[High]になったんだろうと考えたら、昨日アプリをインストールした後でいろいろ動作を試しているときに悠太が操作して[High]になったという情報が動作記録にあることがわかった。
悠太のことだから、たぶん手が滑ったとかそういうことなんじゃないかしら。そんなことを考えながら待機していたけれど、30分もすると暇を持て余してきた。

説明書を何度も読み返してけっこう時間がかかったと思ったけれど、実際には紙の説明書を読んだ時よりはるかに速く、384ページを10回も読んだのに28分37秒しかかかっていなかった。1ページあたりにすると、2.2336……、細かい数字が頭の中を埋めていく。うわ、そんなに細かい数字はいらないのに。そう思うと、2.23秒(有効数字3桁)という値が現れた。
有効数字?数学の授業で習った気がするけど、普通の人はそんなこと気にしないわよね。時計の時刻や計算した数字がいくら正確でも、メイドロボだったらきめ細かい応対とかするほうが重要なんじゃないかしら。あたしを作ったメーカーは根本的に間違ってると思うわ。
ううん、そうじゃなくて。正確な数字が必要な時にあるのはいいのよ。そうじゃない時にも細かい数字が表れて、それを無視できないのが鬱陶しいってことなのよ。それとも、こんなことを考えるのもあたしが元は人間だからで、最初からメイドロボだったら気にならないのかしら。

退屈な時間が過ぎ、15時47分12秒になったときインターホンのチャイムが鳴って、あたしは身体を動かすことが出来るようになった。インターホンの画面には運送会社の制服を着た中年の男性が映っていた。
「お届けものです」
「すこしお待ちください」
あたしは玄関に向かった。
ドアを開けると、玄関の前には小型のトラックが停まっていて、さっきの男性の後ろにもう一人同じ服を着た若い男性が立っていた。
「わたしはゼネラルロボティクス社製メイドロボCMX-100です。ご主人様より、荷物を受け取るよう命令を与えられています」
「メイドロボ。ですか。荷物の確認はできますか」
中年がクリップボードに挟んだ伝票とボールペンを差し出した。
伝票には、メイドロボ用充電スタンドと書かれていた。
「はい、確認できます」
「それではどちらに運びますか」
「ここで受け取ります」
メイドプログラムが勝手に答えた。
「重いですから、気を付けてください」
中年が若い配達員に指示をすると、青年はトラックの荷台から段ボール箱を降ろして運んできた。
「それでは、確認をしたらこちらにサインをお願いします」
なんてサインをしたらいいのかしら、と悩む間もなくあたしの右手はボールペンを取って受取人欄に文字を記入していく。活字のようなきれいな字で、CMX-100 9X385JSP0 とサインされた。
配達員は箱を玄関に置くと伝票の控えをあたしに渡して立ち去った。
「お疲れ様です」
あたしはお辞儀をして玄関のドアを閉めた。
荷物の箱は平たい四角形をしていた。大きいわねと考えた途端に、縦横が96センチメートル、高さが27センチメートルという情報が現れた。こんな機能もあるのねと感心しつつ、この荷物をどうしようかと考えた。
荷物を受け取るようには命令されているけど、受け取った荷物をどうするかの指示は受けていない。身体がまだ自由に動くということは、荷物をどうするかはメイドプログラムより人格シミュレーションの判断のほうが適切ということなんだろう。
あたし用の充電スタンドならあたしの定位置にあるのがいいだろうと考えて、箱を持ち上げるとリビングに運ぶことにした。
重いと言われていたけれど、それほど重いとは感じない。けれども思考の片隅には36.3kgという表示が現れていた。説明書によればあたしの重量は専用メイド服込みで64.1kgだから、その半分より重いけれど、ロボットの身体には全然負担にならないみたいだった。
あたしは荷物をリビングに運ぶと部屋の隅に置いた。
「優先命令1−1、荷物の受け取りを完了しました。優先命令1、留守番を継続します」
あたしの身体は自然に待機姿勢になって、もうあたしの意志ではぴくりとも動くことはできなくなった。

17時42分07秒に玄関のドアが開く音がし、17時42分16秒に悠太の声がした。
「ただいまー」
悠太はリビングに入ると、通学カバンを床に投げ出して、ソファーにどんと腰を沈めた。
「おかえりなさいませ、悠太様」
「なるみ、留守番はどうだった」
「現在、優先命令1.ご主人様が起床するまで留守番を継続中ですが、現在までの状況を報告しますか」
あたしは機械的に応答した。
「報告とかじゃなくて、なるみの感想を聞かせてよ」
「はい、悠太様」
あたしは自分の意志でしゃべれるようになった。
「留守番のあいだは、待機の時間が長く命令を実行する時間が少なかったため、わたしは非常に退屈に感じました。そして、荷物を受け取った時に、この身体の能力が予想以上であることに驚きました」
自由に話せるようになったと言っても、制御レベルを[Low]にして欲しいと言うことは、やっぱりできなかった。これはNarumiモードになったら、真っ先に伝えなきゃ駄目だわ。
「荷物って、どんな?」
悠太が聞いたので、あたしはリビングの隅に置いた箱を示した。
「メイドロボ用の充電スタンドです。36.3kgありますので、人間だった時には持ち上げることは出来なかったと思われます」
「充電スタンドってことは、これがあれば電気自動車用のプラグを使わなくていいってことだね」
「はい、おっしゃる通りです」
「じゃあ、組み立てとくから、その間に晩御飯を作ってよ」
「承知しました。優先命令2.夕食を調理します」
あたしの身体は向きを変え、キッチンに向かって歩き出した。
買い物に行くのは面倒くさいし、外でこの姿を見られるのはまだ恥ずかしいから、昨日の残りのカレーでカレーうどんを作ることにした。
「悠太様、昨晩のカレーを利用したカレーうどんでよろしいですか」
「任せるよ。好きにして」
こういう命令を待っていたわ。メイドプログラムもそれでいいと判断したようで、悠太に確認をしたあとは調理をするという目的の範囲内で自由に動くことができるようになった。

あたしはうどんを茹でるため大鍋に水を入れてコンロにかけた。
次に粉末出しを水で溶いて小鍋の中でカレーの残りと合わせてコンロにかけると、焦げ付かないよう混ぜ合わせながら温めた。
小鍋が煮立ったところで一旦火を止めて味見をし、問題ないようなので大なべの湯が沸騰するのを待つことにした。
冷蔵庫からうどんを取り出して準備をしていると、ガタンという大きい音がした。
「いててて」
悠太の叫びが聞こえた。
あたしは大鍋の火を消すと急いで悠太の元へ向かった。こんなときも安全を考えるところがメイドロボのいいところね、元のあたしだったら火をつけたまま放置してたわね。などと感心している場合ではない。リビングに戻ると、中途半端に開いた箱のそばで悠太が尻もちをついていた。
「悠太様、お怪我はありませんか」
「だ、大丈夫。ちょっと転んだだけだから」
どうやら、箱から中身を出そうとして重すぎて落としてしまい、その弾みに転んだようだった。
(いいわよ。あたしがやるから、おとなしくしていて)
「悠太様、わたしが設置いたしますので、安静になさって……」
「大丈夫だってば、なるみは晩御飯を作っててよ」
あたしの言葉をさえぎって、悠太が言った。
「はい、悠太様」
そう言われては従わないわけにはいかないので、あたしは台所に戻ると再び大鍋の火を付けた。

「どうしたの、今の音は」
悠太のお母さんがパジャマ姿でやってきた。
「ご主人様の起床を確認しました。優先命令1.留守番を終了します。優先命令2.夕食の調理を継続します。ご主人様、悠太様がメイドロボ用の充電スタンドを設置しようとして転倒いたしました」

「あらあら。悠太、怪我はない?」
「大丈夫だよ。母さんは心配性だなあ」
「それじゃあ、あたしは着替えてくるわね。なるみちゃん、あたしにもカレーうどんを作ってちょうだい」
「はい、ご主人様」
あたしは冷蔵庫からうどんを追加で取り出した。
大鍋が沸騰したところでうどんを入れると、思考の片隅にタイマーが現れて3:00からカウントダウンを始めた。その間に小鍋を再び火にかけて温める。
タイマーが10秒になったところで小鍋の火を消し、ゼロになったところで念のためうどんを一本味見する。熱くても火傷をしないのもメイドロボの利点ね。十分な歯ごたえと食感を確認すると、大鍋をざるに空けて湯切りをした。
ざるから大鉢にうどんを移して、小鍋からカレー出汁をかけ、カレーうどんが完成した。
「優先命令2.夕食の調理が完了しました」
あたしはダイニングのテーブルに、カレーうどんの大鉢を運んだ。
「ご主人様、悠太様。夕食ができました」
あたしはダイニングとキッチンの境目に立って待機姿勢になった。
寝間着から部屋着に着替えた悠太のお母さんが戻ってきた。悠太はまだ充電スタンドに苦戦していた。
「悠太、食べるわよ。なるみちゃんも少しなら食べられるのよね。お椀を持ってきて」
「はい、ご主人様」
あたしは、食器棚から小さいお椀を取って、悠太のお母さんに渡した。
悠太のお母さんは、自分の大鉢からうどんを取ってお椀に入れた。
「はい、おうどん。まだおつゆは残ってるみたいだから、それをかけて食べましょう」
「はい、ご主人様」
あたしはキッチンに戻ると、小鍋からお椀にカレー出汁をかけた。
小鍋を置くと、左手にお椀を右手に箸を取ってあたしはうどんを食べようとした。
「ちょっと、なるみちゃん。そうじゃなくて、こっちで一緒に食べましょう」
「はい、ご主人様」
あたしは手を止めてダイニングに戻った。
充電スタンドの設置をあきらめたのか、悠太もテーブルについていた。
「なるみちゃんも座ってちょうだい」
「はい、ご主人様」
あたしは、空いている椅子に座った。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
「いただきます、ご主人様」
あたしは箸でうどんを挟むと、口に入れた。
カレーと出汁のバランスもうどんの茹で加減も申し分ない。
「味覚情報をレシピにフィードバックしました」
「ちょっとそれ、全然おいしそうじゃないわよ」
そんなこと言われても、Maidモードでは感情を表に出すことはできないのだから仕方がない。
「母さん、Narumiモードにしなきゃ」
悠太が気が付いてスマートホンを操作した。
「Narumiモードになったわ」
思考の中のアイコンや時計が消え去り、口の中にカレーの味が広がった。
「うん、美味しいわ。ありがと、悠太。おばちゃんも、気を遣ってくれてありがとう」
「こっちこそ、気が付かなくてごめんね」
あたしたちは食事を済ませると、食器をキッチンのシンクに置いてリビングに集まった。

「これが重くて、なかなか箱から出せないんだよ」
悠太が言った。
「そりゃそうよ。30キロ以上あるんだから」
Maidモードの時にデータとして知ったものは、意識しておかないとNarumiモードでは正確に思い出せないみたい。
「悠太、外箱を押さえていて。あたしが中身を持ち上げるから」
「なるみには無理だよ」
「大丈夫よ。この身体はけっこう力があるんだから」
あたしは箱の中身に手をかけて持ち上げようとした。
力いっぱい持ち上げても全然動かなかった。
「おかしいわね。たしかに受け取った時はあたし一人で持てたのに」
「それって、Maidモードだからじゃないか」
悠太はそう言って、スマートホンを操作した。

「Maidモードになりました。ご主人様、ご命令をどうぞ」
「その箱の中身を出して、そこに置いてちょうだい」
「はい、ご主人様」
あたしは箱の中に手を入れ、中身を持ち上げた。さっきと違ってするりと持ち上がる。35.8kgという情報が頭の中に現れた。
中身は、発泡スチロールで四隅を保護された大きな体重計のような形をした充電スタンドだった。大きさは直径が70cmの円形で、高さは10cm。正面には表示板と4個のボタンがあった。背面には電源コードの接続口があり、底面には滑り止めのゴムシートが張られていた。
あたしは、リビングの隅の自分の定位置のあたりに充電スタンドを置いた。
「なんでこんなに重いんだよ」
悠太の疑問にあたしは説明書を思い出しながら答える。
「悠太様、この台座はメイドロボが固定された状態で安定するよう、重心が低くなるように設計されています」
「じゃあ電源をつなぎましょうか」
悠太のお母さんが、箱の底から電源コードを出して充電スタンドに繋いで反対側を壁のコンセントに差し込んだ。
ピロリンと軽快な音がして、台座の外周が一瞬青く光った。
「充電スタンドを認識しました。自宅内の待機場所と58cmの誤差があります。メイドロボナビゲーターから待機場所を修正するか、充電スタンドを待機場所に移動するか、待機場所より1m以上離してください」
悠太はスマートホンの画面を操作した。
「待機場所登録を修正しました」
頭の中の地図にある待機場所のマーカーが、充電スタンドに重なった。

「じゃあ充電を試してみましょうか」
「はい、ご主人様」
あたしは充電スタンドに上がり、円形の台座の中央にある足型の場所に足を合わせた。
「充電装置を検出しました」
かちりと音がして、足の裏が台座に張り付いた感じがした。
外周のランプが赤色に光った。
「電源回路を接続しました」
外周のランプがオレンジ色に変化し、あたしはまっすぐ立って前を向く姿勢になって足元を見ることはできなくなった。
「充電を開始します。ただいまバッテリーは42%です。充電完了までおよそ1時間30分です」
思考の片隅に現れていたバッテリー容量がゆっくり上昇し始めた。
「じゃあ、今日はもう仕事しないでいいわ。あたしは今日も夜勤だから、明日も今日と同じようにしてちょうだい」
「明日の行動について、本日の命令を複製して登録しました」
あたしはまた待機状態になった。
「それじゃあスイッチを切るわね。おやすみ」
悠太のお母さんの手があたしの額のスイッチを押した。
「おやすみなさいませ、ご主人様」

あ、制御レベルを[Low]にしてって言うのを忘れた。
そう思いながら、あたしの意識は眠りに落ちた。

 

 

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