【目覚めればメイドロボ 9】

こぼれたコーヒーがあたしの胸に降り注ぎ、少し遅れて落ちてきたカップが胸の上で跳ねて床に転がった。
「なるみちゃん、大丈夫?」
悠太のお母さんが心配そうに声をかけてくれた。
「あ、はい。驚いただけです。この身体は火傷もしないみたいだし」
熱湯に近い温度なのに、熱さは感じても苦痛は感じないのは本当によくできた身体だと思った。
「でも、服が汚れちゃったわね」
改めて下を向くと、メイド服の胸から腰の白いエプロンに大きな染みができていた。
「たしか、普通に洗濯できるって説明書に書いてあったわよね」
「そういえば、そうだったような」
Maidモードの時に記録した映像はやっぱり思い出せない。
「とりあえず、着替えを持ってくるから脱いでちょうだい」
「えっと……どうやったら、脱げるの、これ?」
あたしはメイド服を脱ごうと、いろいろ試してみた。
まずエプロンを外そうとしたけれど、腰の少し上の部分を同じ白色をしたベルトが取り巻いていて、それを外さないとエプロンも外せないようだった。
ベルトの正面には鍵穴がついたバックルがあり、身体の左右の位置におおきな金色のボタンのような金具がついていた。ベルトを引っ張ったりずらしたりしようとしたけれど、どうやらこのバックルと金具、それから背中の部分にある金具のような部品であたしの身体に固定されてるみたいで、ぴくりとも動かなかった。

「たぶん、Maidモードなら脱ぎ方わかるんじゃないかとと思います。うまくいったら、Narumiモードにしてくださいね」
あたしはノートパソコンを拾い上げて机の上に置いて操作した。
「Maidモードになりました」
あたしは説明書の画像を読みだしてメイド服の脱ぎ方を確認した。あたしの身体に服を固定しているロックはベルトの部分と肩口の部分にあった。そしてそのロックは、制御レベルが最低になってる今でもあたしの意志だけでは解除することはできなくて、解除にはオーナーの命令が必要だった。
あたしは、メイド服を脱ぐように命令してもらおうとした。
「ご主人様、…………ご命令ください」
でも、メイド服を脱ぐという言葉を発することはできなかった。モード変更と同じで、メイドロボにふさわしくない行動だからなのだろう。
あたしは仕方ないので待機することにした。
「何を命令すればいいの?」
「はい、ご主人様。私はメイドとしてふさわしくない行動を自ら行うことはできません」
ここまでは言うことができるこど、問題はその先よね。
「ふさわしくない行動って?」
「現在実行しようとしている行動です」
やっぱり具体的な言葉を使わなければメイドプログラムのチェックは逃れられるようだわ。
「あー、そういうことね。自分からはメイド服を脱げないし、脱ぐように命令してとオーナーに頼むこともできないのね」
「はい、ご主人様」
「だったら今から命令するわね。なるみちゃん、メイド服を脱いでちょうだい」
「承知しました。ご主人様」
あたしはメイド服を体に固定しているロックに解除信号を送った。
身体の数カ所でカチャリという金属音がして、腰のベルトと袖口が緩んだ。

あたしはエプロンとワンピースを順に脱いだ。あたしはメイド服の下は何も着ていなかった。
一見すると、白いパンツとブラジャーを付けているように見えるけど、これは手袋やハイヒールと同じであたしの肌のその部分が白色の部品に置き換わっていて、メイド服のように脱ぐことはできない。
パンツの部分にそっと触れてみると、手袋が素手の感触なのと同じように素肌に直接触れられているような感触だった。
「メイド服を脱ぎました。ご主人様。説明書を読んでわかってはいましたが……」
続く言葉はメイドプログラムによって止められた。

その他の部分はは手足や顔と同じく光沢を持ったベージュ色の合成樹脂でおおわれていて、パンツやブラジャーとの境界など、ところどころに金色の部品が埋め込まれている。エプロンのベルトがあった位置には胴体を一周するように金色のリングがあって、へその傍の鍵穴はベルトのバックルがなくなってもそのまま残っていた。

「それじゃあ、洗濯しちゃいましょう」
「それじゃあ……」
そう言って悠太のお母さんは、あたしの首の後ろのケーブルを抜いた。
「通信相手と切断しました。優先命令1.メイド服を洗濯します」
あたしは、脱いだ服を洗濯機に入れてスイッチを入れた。
「あら、身体もコーヒーで少し汚れているわね。これはどうしたらいいのかしら?」
「はい、ご主人様。この身体は防水になっていますので、表面の汚れをシャワーなどで洗い流すことが可能です」
あたしは説明書を確認して答えた。
「それじゃあ、シャワーで身体を洗ってきてちょうだい。あたしは寝るから、あとは自由にしていいわよ」
「はい、ご主人様。優先命令2、シャワーで身体を洗浄。優先命令3、自由意思で行動。以上を登録しました。優先命令1、シャワーで身体を洗浄します」
あたしはバスルームに入った。
防水って言ったけど、この鍵穴とかだいじょうぶかしら。そう考えて説明書を確認したら、鍵穴や首のリングの端子は、防水構造なので大丈夫だということがわかった。
足の充電端子も必要な時以外は防水シャッターの中に入っているので大丈夫だけど、胸に埋め込まれたペンダントのような蓋の中にある端子は防水じゃないので、開かないように注意しないといけないそうだ。
あたしは蓋を押さえて確認すると、シャワーの蛇口をまわした。
まずは頭部から洗っていく。あたしの頭髪になっている合成繊維は、人間用のシャンプーで洗うことができる。外すことが出来ない髪飾りがすこし邪魔だったけれど、なんとかうまく洗うことができた。
あとはスポンジにボディーソープをつけて首から順番に下に向かって洗っていく。コーヒーの汚れが付いた胸のあたりは、ペンダントの蓋が開かないように慎重に。それ以外はあまり汚れていないので軽く洗うことにした。
ハイヒールのつま先まで洗い終えて、シャワーで泡を流した。
「優先命令2、身体の洗浄を終了しました。優先命令1、メイド服の洗濯中です。優先命令3、自由意思で行動します」
バスルームから出ると、編み籠の中にバスタオルと着替えが用意されていた。
あたしは、バスタオルを取って身体を拭いた。合成繊維の頭髪は水を吸わないので、軽くふくだけでほとんどの水分を落とすことができた。それから身体の色々な場所にある継ぎ目にたまった水を丁寧にバスタオルで拭き取っていった。
身体が乾いたところで、籠の中の着替えを確認すると、Tシャツとジーパンが入っていた。
ジーパンを手に取って足に通そうとしたところで、あたしの身体は動きを停めた。
「この衣類は私に対応していません」
あたしの口から勝手に声が出て、身体が自動的に動き出す。あたしの身体はジーパンを丁寧に畳んでかごに戻した。
Tシャツはどうかしら。あたしはもう一度籠に手を伸ばした。Tシャツを手に取って広げるところまではできた。シャツを持ち上げて頭を通そうとしたところで、さっきと同じようにあたしは動きを停めた。
「この衣類は私に対応していません」
Tシャツもさっきのジーパンと同じようにかごに戻された。
何度か試してみたけれど、やっぱりTシャツを着たりジーパンをはいたりすることはできなかった。
説明書を見ると『メイドロボの衣類は純正品をお使いください。純正品以外の衣類を着用させた場合には、予期せぬ不都合が起こる可能性があります。純正衣類についてはカタログをご覧ください』と書かれていた。
「普通の服を着ることはできないのですね」
あたしはため息をつきたかったけど、そのような機能はなかった。

洗濯が終わるのを待ちながら内蔵の携帯電話でネットワークに接続してメーカーのサイトでカタログを見ると、いわゆるメイド服以外にもいろいろなデザインの服があった。決まった服しか着られないなら、せめて何種類かは欲しいけれど、どれもかなり高価だったからすぐに買ってもらうわけにはいかないと思った。
洗濯終了を告げるアラームが鳴ったので、あたしは洗い終わった服を洗濯器から取り出した。
「優先命令1、メイド服の洗濯を終了しました」
洗濯が終わって乾燥するところまでは命令に含まれていないみたい。とりあえず洗い終えた服を取り出して乾燥機に入れようとしたところで、あたしの手が止まった。
「本日の天候であれば自然乾燥が可能です」
説明書を見ると、乾燥機は生地を傷めるのでできるだけ使わないようにと書いてあった。
ここは二階のベランダに干しに行くべきだと思うけど、今のあたしはパンツとブラジャーのように見えるパーツ以外は何も身に着けていない。ロボットだから大丈夫と思いたかったけれど、離れてみたら裸の人間と区別はつかないはず。
さすがに誰に見られるかわからない状態は避けるべきだと思うので、止まった手をもう一度動かして、乾燥機にメイド服を入れた。服を着るのとは違ってプログラムもそこまでは止めなかった。

自由にするように言われても、さすがに裸では落ち着かない。
あたしは充電スタンドの上に立った。
「充電装置を検出しました」
かちりと音がして、足が固定される。
「電源回路を接続しました」
あたしはまっすぐ立って前を向くいた。
「充電を開始します。ただいまバッテリーは73%です。充電完了までおよそ40分です」
これで裸を気にしなくてよくなるかと思ったけど、身体が動かないだけで裸が気になることには変わりなかった。
あたしは充電が終わるまでの間に身体を隠せる方法を考えた。
「バッテリーが100%になりました。充電を終了します」
結局、うまい方法は思い浮かばず、あたしは充電スタンドから降りて乾燥機の前で待機姿勢になった。

待機を続けて1時間17分22秒が過ぎ、あとすこしで乾燥が終わるところで、ドアが開く音に続いて、悠太の声が聞こえた。
「ただいまー」
うそ、もう帰ってきたの?
あたしはあわててバスルームに入って扉を閉めた。
「あれ、母さんもなるみもいないのかなあ」
悠太はリビングやキッチンをうろうろしていた。お願い、こっちに来ないでと必死に祈った。
「おーい、なるみ。どこにいるんだい」
悠太があたしを呼ぶと、あたしは自動的に応答した。
「はい、悠太様。私はバスルームにいます」
「風呂掃除かい、僕も手伝うよ」
そうじゃないわ。お願い、察してちょうだい。
「来な……ピッ………」
あたしは(来ないで)と言おうとしたけど、メイドプログラムに止められた。
「悠太……ピッ……様……。お願い……ピッ……」
必死に絞り出した声にも電子音が混じり、うまくしゃべれない。
ついにバスルームの扉が開けられた。
「な、なるみ? その格好は一体なんで」
あたしの姿を見た悠太がうろたえる。
「ちょっ……ピッ……見ないで……ピッ……」
あたしもうろたえて、胸を手で隠しながら後ずさる。バスタブに足が当たり、あたしはバランスを崩した。
「だめ……ピッ……ピピッ、ピーーー」
あたしは叫ぼうとして意識を失った。

 

 

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