【目覚めればメイドロボ 20】
やってきたのは20歳代後半に見える男性だった。
「どちら様でしょうか」
「中町不動産の長谷川です。10時に奥様との約束があって参りました」
時刻は9時58分53秒だった。
「どうぞ、お入りください」
あたしは長谷川さんをリビングルームに案内した。
「CMX-100、お茶を淹れてちょうだい」
「はい、ご主人様」
あたしを名前で呼ばずに型番で呼ぶのは、長谷川さんがあたしの名前を知っているかもしれないからよね。こういう細かい心配りがうれしいわ。あたしは台所に入って戸棚の茶葉を確認した。
「玄米茶と玉露を確認しました。玉露は未開封です」
そう言うと、あたしは自分で身体を動かせるようになった。
どうやらメイドプログラムは、どちらを使うかあたしの判断に任せてくれたようだわ。いちいち口に出さなくてもいいのにと思いながら、玉露を開封して急須に入れたところで、あたしの身体は動きを停めた。
「玉露を選択しました。最適な淹れ方を実行します」
お茶の美味しい淹れ方はよくわからなかったけれど、あとはメイドプログラムに任せておけば間違いない。
お湯を沸かして準備をしていると、聴覚センサーが話し声を聴き取った。
「それで、本日は隣の家の内覧ということですが」
「ええ。売りに出たと聞いたから、買おうかどうか迷ってるんだけど、何か問題でもあるのかしら」
「買い取ったばかりで、内装のリニューアルがまだでして、家具や荷物は処分していいと前の持ち主の方からは言われてるんですが、量が多くて……」
「大丈夫よ。気にしないわ」
お茶の準備ができたのであたしはリビングに入って、長谷川さんと悠太のお母さんにお茶を出し、部屋の片隅で待機姿勢になった。
「いいメイドロボですね。これって最新型の最高級機じゃないですか。けっこう高かったんじゃないですか」
「うふふ、それほどでもないわ」
嘘は言ってないけれど、モニターだから今は無料とか、メーカーのミスで高級機になったから、モニターが終わってあたしを買うことになっても普及機の値段でいいとかいうことは一言も言わないのが上手い。長谷川さんは悠太のお母さんのことをお金持ちの未亡人か何かだと完全に誤解してるみたい。
「それで確認だけど、仲介じゃないのね?」
「そうです。私どもがすでに買い取っており、それをお客様に販売することとなります」
「売り主と連絡を取ることはできるかしら」
「それが、こちらも家財道具の処分方法などで連絡を取りたいのですが、全く連絡が取れないんですよ」
「普通に処分したらいいんじゃないの?」
「そうなんですが。まあ一度見ていただければわかります」
「この子も連れて行っていいかしら」
悠太のお母さんはあたしのほうを見た。
「メイドロボですね。勿論大丈夫です」
あたしたちは隣の家へと向かった。
「どうぞ、お入りください」
長谷川さんが取り出した鍵を使ってドアを開けた。
玄関から見る家の中は、あたしが人間だった時の最後の記憶とほとんど変わらず、いまでも誰か住んでいるようだった。
あたしはしゃがんで足元に手を伸ばす途中で気が付いた。この靴は脱げないんだったわ。悠太の家ではメイドロボにも慣れてきたけど、自分が住んでいた記憶のある家だから、帰宅したときにいつもしていた行動をしちゃったのね。
悠太のお母さんから渡されたタオルで足の裏に付いた泥を落として家に上がった。
「ご自由にご覧になってください」
「なる……じゃなくて、CMX-100、家の中を隅々まで記録してちょうだい」
「はい、ご主人様」
あたしは、真っ先に二階にある自分の部屋だったところに向かって駆け出したけれど、すぐにメイドプログラムによって姿勢が正された。あせってもゆっくりと歩くことしかできないのがもどかしい。あたしは一歩ずつ階段を昇り、部屋の扉を開けた。
「室内の記録を開始します」
あたしは、部屋の中央に立ってぐるりと周囲を見回した。
久ぶりに見るあたしの部屋は、最後にベッドに入った時とほとんど変わっていなかったけど、すぐに違和感を覚えた。
まず気が付いたのは、いつも机の上においてある通学バッグが見当たらないことだった。
「室内を記録しました。クローゼットの詳細を記録します」
あたしはクローゼットを開けた。記憶では沢山あったはずの服は一着もなくがらんとした空間が空いているだけだった。
「クローゼットの詳細を記録しました。机の詳細を記録します」
あたしは机に近づいて、一番上の引出しをあけた。
中には何も入っていなかった。
「引出し第一段を記録しました」
続いて、二段目の引き出しを開けると、一本のフルートが見つかった。
「あっ、これはあたしの……本機の記憶にあるフルートを発見しました」
とっさに出てしまった言葉は自動的に訂正された。
このフルートは、あたしが小学生のころに買ってもらったけど、そのうち飽きてしまって何年もしまいっぱなしになっていたものだ。
懐かしさにフルートを手に取ると、あたしの口から自動的にに言葉が出た。
「フルートの詳細を記録します」
昔覚えた曲を吹いてみようと両手で横に構えてキィに指を当てると、また自動的に声が出た。
「本機の記憶を元に演奏を試行します」
あたし指は思い浮かべたメロディ通りに動いた。人間だった時よりも正確かもしれない。
「本機の記憶と比較、同一のものと確認しました」
そして、唄口を唇にあてたけれど、なぜかメロディは出てきなかった。12秒間試したところで気が付いた。あたしは息をしていないから演奏することは出来ないことに。
「本機には呼吸機構がないため演奏は不可能であることを確認しました」あたしの手は自動的にフルートを戻して引出しを閉めた。
「引出し第二段を記録しました」
続いて一番下の引き出しを開けてみたけれど、何も入っていなかった。
「引出し第三段を記録しました。机の詳細を記録しました。部屋を移動します」
あたしは、部屋を出る前にもう一度フルートを見ようと思った。
「フルートの再調査を検討します」
あたしの身体が停まり、自動的に声が出る。
意識の片隅に先ほどのフルートの映像が詳細に浮かび上がり、演奏できなかったところも一瞬でフラッシュバックした。
「必要な情報は取得済み。再調査は不要と判断しました」
あたしの身体は向きを変え部屋を出た。
あたしは、順番に部屋を見て回った。どの部屋もあたしの部屋と同じで大きな家具はそのままで、タンスや引出しの中身はほとんどないという状況だった。
「ご主人様、全ての部屋の記録が完了しました」
あたしはリビングルームで長谷川さんと話をしている悠太のお母さんの斜め後ろに立って待機姿勢になった。
「それでは、一週間は他の人に売りませんので、それまでに決めてください」
「ありがとう。助かるわ」
二人は話を終えると、玄関に向かった。少し遅れてあたしも後を追う。長谷川さんと別れて悠太の家に戻ると、悠太のお母さんはスマートホンを操作した。
「Narumiモードになったわ」
「どう?何か見つかった?」
「ううん、全然。あたしのフルートが残ってたぐらい。でも……、あたしは息をしてないから吹くことが出来なかったの。それなのに、指は人間だった時より正確に動くの。記録しろって命令だったから持って来れなかったの」
あたしは自分の部屋を思い出して不安になった。
「持ち出さなくて正解よ。下手をしたら泥棒になってしまうわ。とりあえず記録を転送してもらおうかしら」
悠太のお母さんは説明書を読みながらスマートホンの操作をした。
「Maidモードになりました。ご命令はありますか」
「さっきの記録を転送してちょうだい」
「はい、ご主人様」
あたしの思考の中に転送中のアイコンが現れ、1時間12分51秒の動画データが悠太のお母さんのスマートホンに転送された。
「転送を完了しました」
あたしが答えると、悠太のお母さんは再びスマートホンを操作した。
「Narumiモードになったわ。あたしは、これからどうしたらいいの?」
「そうね。そこは、これから考えましょう。もうこんな時間だし、とりあえず、お昼ごはんにしましょうか」
Narumiモードでは正確な時刻がわからないので、壁の時計を見ると12時を少し過ぎたところだった。
「それじゃあ、あたしが……」
あたしは立ち上がろうとした。
「待ってちょうだい。いま、結構つらそうな顔してるわよ。こんなときは無理しちゃダメ」
「でも、あたしはメイドロボだから……」
「ちがうでしょ、なるみちゃんの身体はメイドロボでも、心は人間でしょ。そんなんじゃあ心までロボットになっちゃうわよ。とりあえず、何か作るから食べなさい。自分が人間だってことを忘れないようにね」
そう言って、悠太のお母さんは台所に向かった。
しばらくして、悠太のお母さんはお盆にラーメンが入った丼と小さな茶碗を載せて戻ってきた。お盆をテーブルに置くと、丼から麺を少しとって茶碗に入れて蓮華でスープを掬って同じように茶碗に入れて、あたしの前においた。
「じゃあ、食べましょう。いただきます」
「はい、いただきます」
あたしは箸でラーメンを口に運んだ。人間だった時と同じ味覚が口の中に広がった。一口飲み込んだところで、喉のあたりでプシュッと空気が抜けるような音がした。何だろうと思って、残りを呑み込もうとすると、うまくいかない。何度か試すけれど、喉の奥がふさがってるみたいで呑み込むことはできなかった。
喉の奥が気持ち悪くなってきたので、あたしは台所に行って流し台に吐き出した。そのままコップに水を入れて飲もうとしたけれど、やっぱり呑み込めない。仕方ないので口をゆすいでリビングに戻った。
「どうしたの、大丈夫?」
「わからないけど、急に何かがのどに閊えてるみたいに呑み込めなくなって……」
「ちょっとまって、調べてみるわね」
悠太のお母さんはあたしの説明書を取りに行こうとした。
「あたしは大丈夫だから伸びないうちに、食べてください。食べ終わったら、Maidモードにしてください。何かわかるかもしれないし」
「ごめんなさいね。さっき人間らしくって言ったばかりなのに、メイドロボにしちゃって」
そういって悠太のお母さんはスマートホンを操作した。
「あ、食べ終わってからで……、本機はMaidモードになりました。警告が一件あります。廃棄物カートリッジの交換が必要です」
あたしの意識の中に現れた稼働状態表示の中にある、容量を示すバーが最大に伸びていて赤色になっていた。
「カートリッジ?」
「はい、本機の飲食物は乾燥処理されたのちに廃棄物カートリッジに収納されます。廃棄物カートリッジが満量となると、飲食機能は一時的に閉鎖されます。なお、本機の飲食機能は味見をすることのみを想定しています。通常の使用方法での交換サイクルは二週間に一度となります」
あたしの代わりにメイドプログラムが答えた。
「どうすればいいの」
「カートリッジの交換が必要です。本機に同梱されている交換用カートリッジは2本あります」
「えっと、どこにあったかしら。ちょっと待ってってね」
「はい、ご主人様。待機します」
悠太のお母さんはそう言って部屋を出て行った。
あたしは命令を待って待機を続けた。7分21秒後に悠太のお母さんが白くて四角いプラスティック製の箱を二個持って戻ってきた。
「これでいいかしら」
「はい、ご主人様。本機の廃棄物カートリッジです」
「交換は自分で出来るかしら」
「はい、問題ありません」
「それじゃあ、交換してちょうだい」
あたしは、悠太のお母さんからカートリッジを受け取った。
「はい、ご主人様。本機は廃棄物カートリッジ交換作業を行います」
あたしの身体は直立姿勢になり、左手でカートリッジを持って両手をスカートの下に入れた。
「Bハッチを開放します」
スカートの下でカチャリと音がした。
「廃棄物カートリッジを交換します」
続いてスカートの下で両手が動いて、頭の中のカートリッジの表示が満量から未接続になった。あたしは自分の手が何をしているのかが見えなくて少し不安になった。
さっきと同じプシュっという音が喉の奥から聞こえて、カートリッジの表示が緑色の空の表示に変わった。
「廃棄物カートリッジの交換が終了しました。Bハッチを閉鎖します」
あたしは両手をスカートから出した。左手ではなく右手にカートリッジを持っていた。
「使い終わったカートリッジをちょうだい。中身を捨てて洗っておくから」
それぐらい自分でやるのに、と思ったけれど命令に逆らうことはできず、あたしはカートリッジを渡した。
悠太のお母さんはカートリッジを台所に持って行き、27秒で戻ってきた。
「麺が伸びちゃったわね。あたしはパンでも食べようと思うけど、なるみちゃんはどうする?」
「本機は飲食の必要はありません」
あたしの口はそう言った。
「ごめんなさい、切り替えるわね」
悠太のお母さんはスマートホンを操作した。
「Narumiモードになったわ。あたしは、さっき味わっただけで十分です」
あたしはテーブルから離れてソファに腰を下ろした。
テレビを点けようと思ったけど、Maidモードじゃなきゃリモコン機能は使えないんだった。あたしはテレビのリモコンを手に取ってスイッチを入れた。
昼過ぎはどこも面白い番組をやっていない。いろいろ考えながらテレビのチャンネルを変えているうちに、あたしは眠くなってきた。やっぱり、今日はいろいろありすぎて疲れてるみたい。あたしの身体のこと、住んでた家のこと、お父さんやお母さんのこと、そんなことを考えているうちにあたしはいつのまにか眠ってしまった。