【Ver4.7】

「こうしてみると、本当にあたしってよくできてるわよね」
ショーウィンドウに映った姿を見ながらF3579804-MDは言った。
「このまま家に帰っても、引っ越しちゃって誰もいないのよね。自分が…アクセス禁止…であることは証明できないし、今はこのままメイドロボをやるしかないってことよね」
F3579804-MDは向きを変えると紅茶専門店に向かって歩き出した。

「ごめんください」
紅茶専門店のドアをノックすると、中から男の声がした。
「どうぞ、開いていますよ」
中に入ると、温和な表情の中年の男性が待っていた。
「初めまして。私は店主の新水です。あなたが話のあったメイドロボさんですね」
「あ、はい。私はメイドロボ、F3579804-MDです。茶葉の購入と、お茶の淹れ方を教えていただくために参りました」
「メイドロボさんにお茶の淹れ方を教えるのは初めてですが、お得意様からのご紹介ですからね。あなたはいままでお茶を入れたことはありますか」
「いいえ、全然ありません」
「そうですか。それでは、基本的なところからお教えしましょう」
新水はそう言って、片手鍋を二つ並べてコンロにかけるとガラス製のティーポットを準備した。
「お湯なら私の内蔵湯沸かし器に入ってますが…」
F3579804-MDが言った。
「なるほど、いつでもどこでもお茶を淹れられるように作られてるんですね。でも今回はちゃんとした淹れ方を覚えてもらいます。ご自分の湯沸かし器を使うのはその応用にしてくださいね」
「あ、はい、わかりました」
「いまのお返事、メイドロボにしては、人間の女の子みたいですね」
「すいません、いまメイドプログラムに制御されていないので、不適切な言葉遣いをしてしまいました」
F3579804-MDは、あわてて言い直した。
「気にしなくていいですよ。今から覚えていただくことが、あなたの最優先のプログラムになると依頼主からは伺っています。そのために邪魔になるプログラムをすべて止めているんでしょう」
「そうだったの。だから自由に動けるのね」
「自由に? もしかして、あなたはいま不自由な思いをしているんですか」
「それは…」

そのころ、地下のコントロールルームでは、F3579804-MDをモニター中の技師が、校長に進言していた。
「もう限界でしょう、いくらクライアントからの要望でも、これ以上の自由行動を許せば我々が危険な状況になります。停止コードを送信しましょう」
「まだだ、もう少し待つんだ」
校長はあせる技師をなだめた。

F3579804-MDはしばらく考えてから言った。
「大丈夫です。それよりもお茶の淹れ方を教えてください」
「ならいいんですが。わかりました、お教えしましょう。そろそろ、お湯が沸いてきたようですね。紅茶を入れる前にあらかじめポットをあたためます。わたしのやるとおりにしてみてください」 そう言って、鍋からお湯をポットに注いだ。
「はい、こうですか」
F3579804-MDはぎこちない動きで新水をまねた。
「そんな感じでいいでしょう。ポットが温まるまでの間に茶葉の説明をしましょう。今回はダージリンのファーストフラッシュのオレンジペコを使います。ダージリンは産地の名前。ファーストフラッシュは採れた時期。オレンジペコは葉の大きさを表します。私の店ではこれを基本としていますので、まずはこれをうまく淹れられるようにしてください。ほかのお茶はすべてこの応用です」
「ダージリン・ファーストフラッシュ・オレンジペコ…ピッ、データベースに記録しました…」
「データベース、ですか。女の子のように見えてもやっぱりロボットなんですね」
「あ、はい。紅茶を入れることについては自動的に記録されるみたいなんです。いちおう今聞いた葉っぱの名前とかもデータにはあったんですけど、実際のものとは結びついていなくて…。でも次からは大丈夫です」
新水はティーポットのお湯を捨て、紅茶の葉をティースプーンで三杯すくってポットに入れた。
「鍋のお湯を見てください。沸騰して大きな泡が出ていますね。この状態のお湯を使います」
そういって鍋からティーポットに湯を注いだ。耐熱ガラスのポットの中で紅茶が舞い踊り、ゆっくりと葉を広げてゆく。
「この動きをジャンピングといいます。お湯の対流でしっかり味が出て美味しい紅茶になるんです。あなたには湯沸かし器が内蔵されていると伺いましたが、強火で一気に沸かしたお湯を使うほうがおいしくなりますからね」
話している間に対流は停まり、ゆっくりと葉が沈んでいった。
「この色と香りを覚えてください」
「は、はい。…ピッ、視覚センサーと嗅覚センサーの情報を記録しました…」
「お茶が出たら一気にカップに注ぎます。残っているとどんどん雑味が出て渋くなりますからね。よくポットでお茶を出すお店で、葉が入ったまま出てくることがありますが、あれはよくありません。二杯目以降の味が落ちてしまいます。抽出するポットとお客様に出すポットは分けて、最高の味のものをお客様用のポットに移すのがよいでしょう。それではやってみてください」

F3579804-MDは新水の手順を思い出して、ポットに茶葉を入れて湯を注いだ。
ポットの中の茶葉が踊り、お湯がゆっくりと色づいていく。
「こんな感じかしら」ポットに顔を近づけると無表情になった「…ピッ、視覚センサーの情報と、嗅覚センサーの情報が一致しません…」そう言うとすぐに表情を取り戻した。
「えっと…データと食い違っているんですが…」
そう言っている間にどんどん茶は濃くなってゆき、濁ったようになってしまった。
「時間をかけすぎたようですね。でも捨てるのは勿体ありません。失敗したときの味も覚えておいてください。あとで役立つでしょう」
F3579804-MDは、まず自分の淹れた紅茶のカップを恐る恐る口元に持っていきゆっくりと飲み込んだ。
「う…苦い。でも、あたしの知ってる紅茶ってこんな味だわ」
「この味を覚えてください」
「はい…ピッ、味覚センサーの情報を記録しました」
「味だけではなく、いま抽出にかかった時間、温度、色、香り、全てを覚えてください。できますか」
「はい、大丈夫です…ピッ、抽出に関する全データを記録しました」
「がんばりましたね。ではこちらをどうぞ」
新水は、自ら入れた紅茶を飲むように促した。
「お…美味しい。紅茶ってこんな味だったの?」
F3579804-MDの表情が嬉しそうな笑顔へと変化する。
「この味も同じように覚えてください。さきほどの色・香り・時間と結び付けられますか」
「たぶん、できると思います。…ピッ、抽出情報データベース構築します。テーブルスペース作成。テーブル作成。抽出情報行挿入。味覚センサー情報更新…。抽出時間情報更新……」 F3579804-MDはまた無表情になって呟き始めた。
「データ更新完了しました…うまくいったと思います」
「それでは、これからが本番です。紅茶を美味しく淹れるにはとにかく経験を積むしかありません。普通でしたら最低一週間はほしいところですが、本日しか時間はいただいていません。あなたには今から100回紅茶を淹れて、その全てを飲んでもらいます。一回あたり5分として、約9時間になります。幸いなことにあなたはロボットですから、何リットル飲んでも大丈夫でしょうし一度覚えたことは忘れませんよね。できますか」
「はい、がんばります。でも…」
F3579804-MDはうつむいた。
「どうしました?」
「あたしは多分あと2時間ぐらいしか動けません。バッテリーが切れちゃうんです」
「そういうことならばご安心を。事前に電源ケーブルが届けられていますよ」
そう言って新水はカウンターの奥から長いケーブルを伸ばし、F3579804-MDの足のリングに接続した。
「ピッ…外部電源が一系統接続されました。外部電源動作に切り替え、余剰電源で充電を行います」

それから延々と二人は紅茶を淹れ続けた。
F3579804-MDが入れたお茶を新水は口に含むと吐き出し短い批評をする。
残りのお茶はF3579804-MDが飲み、温度・色・味・抽出時間などを記録する。
これを8時間にわたって繰り返した。
「100杯を目標にしていましたが、かなり速いペースで進みましたね」
「えっと…ピッ、157杯です」
「もう、どのように淹れたらどのような味になるかがわかってきましたね」
「はい、大丈夫です」
F3579804-MDは自信を持って答えた。
「では余った時間で応用編としましょう」
新水は別の茶葉を持ってきた。
「これはオレンジペコより一ランク細かいブロークン・オレンジペコです。淹れてみてください」
「はい」
F3579804-MDはすでに馴れた手つきで抽出したが、出てきた紅茶はかなり濃く渋みも強いものであった。
「これを美味しく淹れるにはどうすればいいかわかりますか」
「えっと、時間を短く…ですか」
「正解です。では最適な時間はどうやったらわかりますか」
「すいません。わかりません。また何回も繰り返して…ですか」
「いいえ、その必要はありません。あなたは一つの茶葉を様々な淹れ方をして、その味を記憶しているはずです。それから考えればおのずと最適な時間が導き出せるはずです。私は味を立体的な空間でイメージしていますが、それはまだ難しいでしょうからまずは抽出時間と苦みの量だけに絞って考えてみてください」
「標準の葉でこの苦みの量は4分35秒。新しい葉の今回の抽出時間は3分です」
「であれば、標準の葉で3分の時と同じ苦味の量にするにはどれだけにしたらいいか計算できますか」
「えっと…ピッ、1分57秒です」
「では、そのとおりかどうか試してみましょう」
F3579804-MDは正確に1分57秒で抽出した。
「では味わってください」
「美味しい…でも何か違うような」
「ここまでわかれば十分でしょう、その違いが何かは自分で見つけてください。それがあなたの味になります」
「はい。わかりました…ピッ、抽出情報を記録します」

「ではまだ時間があるようですから、あとはお茶を楽しみましょう。当店で扱っているいろいろな茶葉を私が最適と思う淹れ方で入れますから覚えて帰ってくださいね。美味しいスコーンがありますから、どうぞ召し上がってください。
「お茶もスコーンも、とても美味しいです。こんなにお茶をおいしいと感じたのは生まれて初めてです」
「生まれて?」
「は、はい。あたしがメイドロボになって初めての…じゃなくて、あたしがメイドロボとして製造されてからそんなに日が経っていないので」
「ああ、そういうことですか」
「ピッ、帰還信号を受信しました。レベル1の行動制限が適用されます。そろそろ帰らないと…」
「それでは、頼まれていた茶葉を用意しています。10種類でしたね。多めに包んでおいたので、戻ってからも練習してくださいね」
「ありがとうございます」

包みを受け取って店を出て、店の扉が閉まるとF3579804-MDは立ち止った。
「やっぱりずっとモニターしていたのね。でもこれで、ちゃんとメイドロボとして問題ないことが分かったはずよね。もう不良品なんて言わせな…」
自信たっぷりに呟いている途中で動きが止まった。
「ピッ、帰還命令を受信しました。レベル2の行動制限が適用されます。GPSを受信しました。ナビゲーションを開始します……」
F3579804-MDは無表情になって駅に向かって歩き出した。

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